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103年ぶりの新種の桜「クマノザクラ」現地説明会

103年ぶりの新種の桜「クマノザクラ」現地説明会

森林総合研究所多摩森林科学園の勝木俊雄チーム長と和歌山県林業試験場などのグループは3月18日、国内では103年ぶりに見つかった新種の桜「クマノザクラ」の自生地の一つ、和歌山県古座川町で現地説明会を開いた。
クマノザクラは紀伊半島南部に自生している。約70人の参加者を前に、ヤマザクラなどよりも開花時期が早いことや、花がついている枝の「花序柄」と呼ばれる部分が短いことなど、ソメイヨシノなど他の桜との違いが説明された。参加者らは「これまでヤマザクラで早咲きと遅咲きがあり、不思議に思っていたが、早咲きが新種だと分かり、とても驚いた」などと話していた。

信長が築かせた大溝城跡で本丸の石垣の一部見つかる

信長が築かせた大溝城跡で本丸の石垣の一部見つかる

滋賀県高島市教育委員会によると、同市勝野の大溝城遺跡で戦国武将、織田信長が築かせた大溝城築城当時の本丸の石垣の一部が見つかった。今回見つかったのは城の南西の角とみられる石垣で、これを受け高島市が本丸の大きさを調べた結果、南北およそ57㍍、東西およそ52㍍と推定されるという。
大溝城は、信長が京都と越前を結ぶ交通の要衝だった近江への侵攻を防ごうと、琵琶湖の四方にそれぞれ設けた城の一つで、信長の甥・信澄に築かせたと江戸時代の絵図に伝わっている。ただ、この大溝城は1582(天正10)年の「本能寺の変」で信長が倒れた後、壊された。
高島市は、大溝城の規模や構造を明らかにしようと平成27年11月から発掘調査を開始している。

「始祖鳥は飛べた」キジやクジャクに近い骨の構造

「始祖鳥は飛べた」キジやクジャクに近い骨の特徴

フランスなどの研究チームによると、約1億5000万年前のジュラ紀に生息していた鳥の遠い祖先の始祖鳥は、自力で羽ばたいて飛べた可能性が高いことが分かった。
始祖鳥は体長約50㌢でドイツで化石が見つかった。恐竜に似て歯を持つが羽毛や翼があり、骨の特徴を現在の鳥など約70種と比べたところキジやクジャクに近く、翼を支える上腕骨などの内部構造を詳しく観察した結果、短い距離を飛ぶ能力があったと判断した。
始祖鳥はこれまで、飛べたかどうか分かっておらず、羽の強度の推定から滑空程度しかできなかったとする見方もあった。

東大寺二月堂 お水取りでヤマ場”籠松明”

東大寺二月堂 お水取りでヤマ場”籠松明”

古都・奈良に春の訪れを告げる、奈良時代から続く東大寺二月堂の伝統行事「お水取り」(正式には「修二会」)で3月12日夜、その最大のヤマ場といえる、長さ8㍍、重さ60㌔もある大きな松明(たいまつ)が焚かれる”籠松明”があった。
お水取りは、練行衆と呼ばれる僧侶たちが国の安泰を祈願して修行する行事で、終盤の3月1日から毎晩、二月堂の舞台で松明を振って火の粉を散らす”お松明”が行われていて、12日夜はヤマ場だった。この火の粉を浴びると健康で過ごせるといわれ、集まった人たちは舞台から降り注ぐ真っ赤な火の粉に歓声をあげていた。

高村光太郎の未公表書簡34通見つかる「智恵子抄その後」

高村光太郎の未公表書簡34通見つかる「智恵子抄その後」

詩人・彫刻家の高村光太郎(1833~1956年)が編集者に宛てた、全集に収録されていない未公表書簡34通が見つかった。これは代表作の詩集「智恵子抄」を出版した龍星閣(東京都千代田区)の元社長、澤田伊四郎氏に宛てたもの。1942年から55年に書かれたはがき32通、封書2通。
1941年に出版された、愛妻を題材にした「智恵子抄」の好評価を得て、戦後、続編「智恵子抄その後」が出版された。しかし今回見つかったはがきでは、高村は続編について「ものにならないと思います」と記しており、出版前はこの続編に乗り気ではなかったことがうかがえる。
未公表書簡は、2017年5月、澤田氏が残した書簡や書籍が遺族から同氏の出身地、秋田県小坂町に寄贈され、その中から全集収録分も含め約70通の中から見つかった。同町は博物館でこの未公表書簡を無料公開する。

奈良市「平城宮跡歴史公園」整備され3/24オープン

奈良市「平城宮跡歴史公園」整備され3/24オープン

国と奈良県が保存し、観光資源としても活用しようと2008年から整備を進めてきた「平城宮跡歴史公園」が3月24日、オープンすることになった。
同公園は、奈良時代に都の中心部だった奈良市の平城宮跡に整備され、広さは34㌶あり、1998年に復元された朱雀門と幅74㍍の朱雀大路を中心に、平城宮の歴史を学ぶ資料館や、奈良の食材にこだわったレストラン、それに大勢の観光客を受け入れるための大規模なバスターミナルなどが完成した。24、25の両日は記念イベントが行われる予定。

周防鋳銭司跡 磁気測定で作業場跡を特定へ 岡山理科大など

周防鋳銭司跡 磁気測定で作業場跡を特定へ 岡山理科大など

岡山理科大の調査チームは、平安時代に銅銭が製造された国指定史跡「周防鋳銭司跡(すおうのじゅぜんじあと)」(山口市鋳銭司)で、地中に埋まっている作業場の跡を特定するため、磁気測定器を使って探査した。
鋳銭司跡は史跡指定部分だけで約3.8㌶。すべてを発掘するのは困難だが、作業場跡を絞り込めれば調査効率が一気に向上すると期待されている。
同チームによると、地表から磁気を測定すると通常は一定の値を検知する。しかし、高温にさらされた地面は土中の鉄分が磁気を帯びるため、地中に窯跡などがあると、磁気に強弱の変化が現れる。チームはこれまで岡山県内の古代窯跡の発見などに協力しており、今回初めて同じ方法を使い、銅銭づくりの作業場跡を山口大や山口市教育委員会と探す取り組みに乗り出したもの。

畑で偶然見つけた石は46億年前の「鉄隕石」と判明 岐阜市

畑で偶然見つけた石は46億年前の「鉄隕石」と判明 岐阜市

東京大学や国立極地研究所などの分析によると、岐阜市の住宅街の畑で70代の男性が偶然見つけた石が、およそ46億年前、太陽系が形づくられる過程でできたとされる「鉄隕石」と呼ばれる隕石だったことが分かった。
重さおよそ6.5㌔㌘のこの石は鉄分が93%を占める鉄隕石という隕石で、ニッケルの割合が比較的低い、日本で初めて確認されたタイプのものだという。
この隕石は発見場所の地名にちなみ「長良隕石」と名付けられ、正式に国際隕石学会に登録された。日本で隕石が発見されるのは15年ぶり。

奈良・斑鳩町の春日古墳内部に石室 素粒子で透視

奈良・斑鳩町の春日古墳内部に石室 素粒子で透視

奈良県立橿原考古学研究所などは2月27日、「ミューオン」と呼ばれる素粒子を使って内部を透視する最新の調査によって、奈良県斑鳩町の春日古墳の中心部に石室とみられる空洞があることが初めて確認できたと発表した。
データの解析から空洞の大きさは幅およそ1.8㍍、高さおよそ2㍍、長さおよそ6.1㍍ほどと推定され、要人を埋葬した石室とみられるという。
春日古墳は形状などから「古墳」とされてきたが、発掘調査が行われたことはなく、内部の構造については分かっていなかった。また同古墳は、豪華な副葬品が発掘され、大きな話題となった藤ノ木古墳の近くにあり、過去に盗掘に遭った形跡がみられないことから、埋葬された当時の状態が残されている可能性があるとして注目されている。

グアテマラ密林の下に古代マヤ文明の巨大都市の遺跡発見

グアテマラ密林の下に古代マヤ文明の巨大都市の遺跡発見

グアテマラ北部の密林で、古代マヤ文明の建造物6万個以上に上る巨大都市の遺構が見つかった。科学誌「ナショナル・ジオグラフィック」が報じた。これは調査チームが最先端の機材を使って遺跡探索に成功したもの。
使われたのは遺跡探索に大きな威力を発揮する革新的な技術、レーダーによる光学走査技術「LiDAR」。これにより、デジタルフォーマットの写真から森林群を取り除き、空からの撮影で鬱蒼とした密林下にある物体を検知することが可能になったという。その結果、同チームは実際には密林下にある宮殿、家屋、道路、テラス、さらには複雑な灌漑システムなどを含む巨大な古代都市遺跡を発見した。
今回の発見でマヤの人口は、これまで考えられていた500万人よりははるかに多い1000万~1500万人だったと想定されるという。

唐招提寺 奈良時代の瓦の窯跡と判明

唐招提寺 奈良時代の瓦の窯跡と判明

奈良県立橿原考古学研究所によると、奈良市の世界遺産、唐招提寺で50年以上前に発見された窯の跡を再調査した結果、奈良時代の終わりごろの瓦を焼くための窯と分かった。
窯は高さが1㍍以上、幅およそ2.2㍍、奥行きおよそ4.2㍍の「有畦式平窯」と呼ばれる瓦を焼くための窯であることが判明した。一緒に出土した瓦などから奈良時代末期から平安時代初めにかけて使われたことが分かった。
この窯で唐招提寺の主要な建物の瓦をつくっていた可能性があるという。

奈良・橿原市の綏靖天皇陵を研究者に初公開 宮内庁

奈良・橿原市の綏靖天皇陵を研究者に初公開 宮内庁

宮内庁は2月23日、「日本書紀」などに登場する第2代天皇の「綏靖(しぜい)天皇」が埋葬された陵墓として同庁が管理している奈良県橿原市の古墳を、研究者らに初めて公開した。
公開されたのは「四条塚古墳」で、直径約30㍍の円墳で、天皇や皇族を埋葬した陵墓は、一般の立ち入りが制限され、これまでは本格的な発掘調査などは行われていない。今回初めて日本考古学協会の会員など16人の研究者が、宮内庁の職員に案内されて敷地に入った。

難波-飛鳥を結ぶ「竹内街道・横大路」バスで巡る

難波-飛鳥を結ぶ「竹内街道・横大路」バスで巡る

文化庁の「日本遺産」に認定された大阪と奈良を結ぶ「竹内街道・横大路」に関係する自治体でつくる実行委員会は2月18日、街道沿いの大阪府羽曳野市と奈良県桜井市の間のおよそ30㌔㍍を循環するバスを運行した。各地のバス停の周囲では生鮮野菜市や体験教室など様々なイベントが開かれ、多くの人でにぎわった。1日限りのこの循環バスは、3月18日にも運行される予定。
竹内街道・横大路は、7世紀に古代の難波(なにわ)と飛鳥を東西に結んで整備された街道で、2017年4月、日本遺産に認定された。

岡山・西大寺で裸祭り 1万人の男たちが福求め争奪戦

岡山・西大寺で裸祭り 1万人の男たちが福求め争奪戦

岡山・西大寺の奇祭、裸祭りが2月17日あった。まわし姿の男たちが、福を呼ぶとされる「宝木(しんぎ)」を奪い合う裸祭り「西大寺会陽(さいだいじえよう)」は室町時代に始まったとされ、今年で509回目を数える。
午後10時、金陵山 西大寺(岡山市東区)境内の明かりが一斉に消されると漆黒の闇の中、住職が高さ約4㍍の本堂の御福窓(ごふくまど)から2本の宝木を投げ込む。すると、本堂にひしめく約1万人のまわし姿の男たちが、この争奪戦を繰り広げる。しばらくすると、裸の渦からは熱気で湯気が舞い上がり、荒い息遣いとともに汗のにおいが立ち込め、一瞬寒さを忘れるほど。
宝木を手に境内を出た男性が今年の「福男」になる。

山口・美祢市で植物食動物ディキノドン類の化石発見 国内初

山口・美祢市で植物食動物ディキノドン類の化石発見 国内初

山口県美祢(みね)市は、2010年に同市で発見された化石が、2億~3億年ほど前に世界各地で生息していた植物食動物ディキノドン類のものだったと発表した。国内では初めて。
調査にあたった愛媛大学によると、ディキノドン類は哺乳類の遠い親戚で、上あごから突出した2本の牙が特徴。中生代三畳紀後期(2億3700万年前~2億100万年前)にほぼ絶滅したと考えられている。化石は長さ約12㌢と約7㌢の上あごの一部で、牙と周囲の形態からディキノドン類と特定した。

平安京の公設市場に厨房?緑釉陶器の皿底に「厨」の文字

平安京の公設市場に厨房?緑釉陶器の皿底に「厨」の文字

龍谷大学大宮キャンパスの(京都市下京区)の発掘調査によると、緑釉陶器の皿底の一部に調理場を意味する「厨(くりや)」の文字が刻まれたものが見つかった。この結果、平安京の公設市場「東市」に役人の食事を担う厨房があったことが分かった。東市を管理した役所「市司(いちのつかさ)」の調理場に関する皿とみられ、施設の配置など不明な点が多い市場内を知るうえで貴重な発見という。
今回見つかったのは、京都市近郊産とみられる緑釉陶器の直径約10㌢の皿底で、とがった工具で「厨」と刻まれていた。9世紀後半の1.6㍍四方の方形木組み井戸跡から、瓦や土師(はじ)器と一緒に出土した。

戦艦「大和」と沈んだ駆逐艦「磯風」発見か 鹿児島県沖で

戦艦「大和」と沈んだ駆逐艦「磯風」発見か 鹿児島県沖で

広島県呉市とともに、戦艦「大和」について潜水調査を行った大阪市の海洋調査会社によると、2016年5月の調査で、太平洋戦争末期、鹿児島県沖で戦艦「大和」が沈んだ場所から北東に9.5㌔㍍、深さ450㍍の海底で、戦艦1隻が沈んでいるのが見つかった。
撮影された映像や戦闘の記録などから専門家は、これは旧日本海軍の駆逐艦「磯風」の可能性が高いとしている。映像には4つの砲身を持つ魚雷発射管のほか、爆発でめくれ上がった船尾や横倒しになった主砲も映し出されていて、当時の戦闘のすさまじさや激しさがうかがえる。
磯風は長崎県佐世保市の旧海軍工廠で建造され、昭和15年に就役した。全長はおよそ120㍍、基準排水量は2000㌧余。

和歌山・天王塚古墳 3月に54年ぶり石室を一般公開

和歌山・天王塚古墳 3月に54年ぶり石室を一般公開

2016年、国の特別史跡に指定された和歌山市の天王塚古墳で、3月に内部の石室が54年ぶりに一般公開されることになった。
同古墳は6世紀中ごろに築造された、全長88㍍の和歌山県最大の前方後円墳。石室は高さが全国で2番目となる5.9㍍あり、「石棚」と「石梁」と呼ばれる構造物を併せ持っているのは同古墳だけだという。
一般公開を前に行われた発掘調査では、54年前と同じようにめのうやガラス製の玉をはじめ、銀製の装飾品、水鳥をかたどった装飾付きの須恵器の一部などが見つかっている。和歌山県は3月3、4日、およそ500人を対象に現地説明会を開く予定。

兵庫県篠山市で角竜類の化石新たに見つかる

兵庫県篠山市で角竜類の化石新たに見つかる

兵庫県立人と自然の博物館の発掘調査によると、兵庫県篠山市で、頭に角のある草食恐竜「角竜類」3体のあごの骨などの化石が見つかった。このうちの1つは子どものものとみられることから、恐竜の成長の過程を探る貴重な資料なると注目されている。
今回化石が見つかったのは、篠山市の大山下のおよそ1億1000万年前の前期白亜紀の地層。化石は角竜類の仲間の「ネオケラトプス類」のもので、上あごの骨1点と、下あごの骨2点などで3体のものとみられている。
この周辺では10年前にも、日本で見つかった初めての角竜類としてネオケラトプス類の化石が見つかっている。

厳寒の古都の夜空焦がす 奈良・若草山で山焼き

厳寒の古都の夜空焦がす 奈良・若草山で山焼き

近年では異例の寒さが続く中、奈良市の若草山(342㍍)で1月27日、春告げる伝統行事の山焼きがあった。近年、この季節としては比較的気温の高いこともあって、炎を見ながらはしゃぐカップルもみられたが、今年は厚い防寒着に身を包んだ見物客ら約18万人の多くが、古都の夜空を焦がす炎を厳かな面持ちで見守る姿が印象的だった。
約600発もの花火が打ち上げられた後、午前6時半、たいまつを手にした消防団員約300人が山裾で一斉に点火した。火は山頂に向かって約33㌶の草地に徐々に燃え広がり、近くの興福寺五重塔(国宝)などを暗い夜空に赤く照らし出し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

現生人類の中東への移動 定説より4万~5万年遡る

現生人類の中東への移動 定説より4万~5万年遡る

国際研究チームは1月25日、米科学誌サイエンス電子版で、現生人類がこれまでの定説より約4万~5万年早い約17万~19万年前の時点で、アフリカから中東へ移動していたことが分かったと発表した。
現生人類の起源はアフリカで、およそ約12万年前にアラビア半島やアジアに広がったと考えられてきた。ところが、今回イスラエルなどのチームが、イスラエル北部のカルメル山の洞窟で約17万7000~19万4000年前の上あごの骨や歯の化石を発見した。
CTスキャンなどで詳しく分析し、アフリカや欧州、アジアなどで見つかった他の人類の化石と比べたところ、その特徴から絶滅したネアンデルタール人などではなく、現生人類の化石と判断した。

奥出雲「日刀保たたら」で伝統の今年の火入れ式

奥出雲「日刀保たたら」で伝統の今年の火入れ式

国内で唯一、「たたら吹き」で日本刀の材料となる高純度の玉鋼(たまはがね)をつくっている島根県奥出雲町大呂の「日刀保(にっとうほ)たたら」で1月24日、今年の操業開始となる火入れ式があった。「たたら吹き」は土の炉に燃料の木炭と砂鉄を入れる日本古来の製鉄法だ。
伝統的な神事に続き、村下(むらげ)と呼ばれる技師長が「初種」と呼ばれる今年最初の砂鉄を炉に入れた。それから3昼夜にわたり、30分ごとに砂鉄と木炭を加え続ける。そうすると炉からは、鉄の塊が約3㌧製造され、最も高品質な部分の玉鋼が刀匠に分けられるという。
1997年に開設された日刀保たたらは、2016年4月「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」として、日本遺産に登録されている。

中国でクローンのサルが誕生 霊長類で今後物議も

中国でクローンのサルが誕生 霊長類で今後物議も

中国科学院の上海の研究グループは、クローン技術によって全く同じ遺伝子を持つサルをつくり出すことに初めて成功したと発表した1月24日付アメリカの科学雑誌「セル」に発表した。
クローンのサルはカニクイザルで、この遺伝子は皮膚の細胞を提供したサルと全く同じで、同グループは体細胞を使ったクローン技術で霊長類をつくることに初めて成功したとしている。
クローン人間をつくることは各国で禁止されているが、同グループは「霊長類のクローンをつくるための技術面での壁は取り除かれた」としていて、今後大きな議論を呼ぶことになりそうだ。
また、同グループは今回の成功について「ヒトに近いサルのクローンをつくることで、従来の研究では解明できていない病気の仕組みの研究や薬の開発に生かせる」とし、アルツハイマー病やパーキンソン病などを再現して、治療につなげたいとしている。

春日大社の太刀は平安後期の最古級の日本刀

春日大社の太刀は平安後期の最古級の日本刀

春日大社(奈良市)によると、昭和14(1939)年に同大社の宝庫の天井裏から見つかった太刀を研ぎ直して調査したところ、12世紀の平安時代後期につくられた、今の形の日本刀としては最古級のものとみられることが分かった。作者は不明。
調査によると、束に近い部分に反りがある、先端部分が直線に近い形をしている-などから、平安時代後期に伯耆国(ほうきのくに)、今の鳥取県でつくられた「古伯耆(こほうき)」と呼ばれる太刀とみられることが分かったという。鞘(さや)や柄(つか)など外装は後の14~15世紀につくられたものだった。
この太刀は1月30日から3月26日まで春日大社国宝殿で公開される。

火野葦平「インパール作戦従軍記」出版 内情を克明に記録

火野葦平「インパール作戦従軍記」出版 内情を克明に記録

旧日本軍が連合国軍の補給路を遮断しようと、インド北東部インパールの攻略を目指し、1944年3月に開始された、乾坤一擲、壮大なインパール作戦。この内情を克明に伝える火野葦平(1906~60年)の「インパール作戦従軍記」が出版された。原本は1944年、陸軍報道班員として綴った「従軍手帖」。
ここには多くの戦場に従軍した作家の目で、補給を軽視し食糧や物資が欠乏、行軍の最中、満足に食べるものがなく、敵と戦う前に”飢え”に直面し、3万人以上もの犠牲者を出して大敗した旧日本軍の無謀さが克明に記されている。
火野葦平は「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受賞。「麦と兵隊」「花と龍」などの作品で知られる。1月24日で没後58年となる。

国宝の金印「漢委奴国王」の真贋めぐり研究者が激論

国宝の金印「漢委奴国王」の真贋めぐり研究者が激論

今からおよそ2000年前の弥生時代に、中国の皇帝から与えられ、江戸時代に福岡市の志賀島で見つかったされている国宝の金印「漢委奴国王」の真贋をめぐり、激論が交わされた。
金印を所蔵する福岡市博物館がシンポジウムを開いたもので、金印を本物と偽物それぞれの立場をとる研究者が激論を繰り広げた。シンポジウムは、まず3人の研究者が基調講演で自説を展開、そのあと討論が行われた。
NPO・工芸文化研究所の鈴木勉理事長は、文字を彫った痕などが江戸時代に一般的だった印の特徴を備えているとし、「後に製作された偽物の可能性が非常に高い」と主張。一方、明治大学文学部の石川日出志教授は、中国各地で見つかっている古代の印の形や金の純度を比較した結果、「後漢時代の本物に間違いない」と応酬、偽物説に対抗した。

世界遺産・白川郷の合掌造り集落でライトアップ始まる

世界遺産・白川郷合掌造り集落でライトアップ始まる

岐阜県白川村の世界遺産・白川郷の合掌造り集落で1月21日、日時限定のライトアップが始まった。今後のライトアップは1月28日、2月4日、2月12日の17時半~19時半。
一面雪世界の夜空に浮かび上がる合掌造りの家は、さながら絵本の一部を切り取ったように、幻想的な世界を目の当たりにしてくれる。
近年は訪日外国人旅行客を含め冬場も多くの観光客が訪れ人気スポットとなっている。事故防止や混雑緩和のため、今年から「荻町城跡展望台」の入場を1日900人に制限。村内の宿泊者を優先し、500円の有料整理券を配布する。貸し切りバスでの見学は完全予約制。

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録の推薦を閣議了解

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録の推薦を閣議了解

政府は1月19日、2019年のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の推薦を閣議了解した。正式な推薦書は2月1日までにユネスコ世界遺産センターへ提出するという。
推薦する構成資産は、世界最大級の前方後円墳・仁徳陵古墳(全長486㍍)などを含む45件49基の古墳。ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)が2018年9月ごろに現地を調査し、2019年5月ごろに登録可否の勧告を出す見通し。正式には2019年夏に開かれる第43回世界遺産委員会で決まる。

西郷隆盛の新しい肖像画 枕崎市で見つかる 作者不明

西郷隆盛の新しい肖像画 枕崎市で見つかる 作者不明

西郷南洲顕彰館によると、西郷隆盛を描いた可能性がある新しい肖像画が鹿児島県枕崎市で見つかった。作者や制作時期は不明で、同館が1月から一般公開し、情報を求めている。
油絵で描かれ、サイズは縦54㌢、横45㌢、署名はなく、誰がいつ描いたのか、全く分かっていない。
西郷隆盛ゆかりの縁者らは、今回見つかった新しい肖像画について「祖先から聞いていた西郷さんの特徴が揃っている」と期待を寄せている。

長崎・壱岐市のカラカミ遺跡で弥生期の土器片出土

長崎・壱岐市のカラカミ遺跡で弥生期の土器片出土

長崎県壱岐市教育委員会はこのほど、同市のカラカミ遺跡で、弥生時代後期(2世紀ごろ)の「周」の文字の左半分が刻まれた土器片が出土したと発表した。
土器片は縦7.5㌢、横8.8㌢。鉢(口径23㌢、高さ7.7㌢)の一部とみられ、文字は縁部分に刻まれていた。土器は中国・遼東半島周辺でつくられたとみられ、交易を通じて一支国に入った可能性が高いという。
カラカミ遺跡は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「一支いき国」の交易拠点跡とされ、当時の九州北部で広範囲に文字が伝わっていた可能性も出てきた。

松前藩のアイヌ宛て最古の文書の原本 ロシアで発見

松前藩のアイヌ宛て最古の文書の原本 ロシアで発見

東京大学史料編纂所などの研究チームの調査によると、江戸時代後期の1778(安永7)年に、当時の松前藩から北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書の原本が、ロシア国立サンクトペテルブルク図書館で見つかった。240年前の文書で、アイヌ民族とロシア人との接点や交易・交流を示すものとして注目される。
文書は松前藩の蝦夷地奉行から、根室半島”ノッカマップ”(現在の北海道根室市)を拠点としていたアイヌ民族の有力者、ションコに宛てたもの。交易に使われる施設の「運上小家」の火の用心に努めよ、和人の漂流船が漂着した際は、この文書を見せて介抱の上、送り届けよ-など4項目を「定(指示)」とし、背いた者は厳罰に処すと記されている。同チームは、鎖国の時代にアイヌの手から蝦夷地を訪れたロシア人に渡ったものとみている。
アイヌのションコは、1789年、幕府・松前藩治政下、過酷な労働環境などに不満を持ったアイヌ民族が武装蜂起し和人71人を殺害した「クナシリ・メナシの戦い」を、終息に導いた功労者の一人と言われている。

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」妙技に歓声

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」妙技に歓声

世界遺産・下鴨神社(京都市左京区)で1月4日、新春恒例の「蹴鞠初(けまりはじ)め」が行われた。烏帽子(えぼし)・袴(はかま)の平安貴族の色鮮やかな伝統衣装を身に着けた「蹴鞠(しゅうきく)保存会」のメンバーが8人1組で、「ヤア」「アリ」など独特の声を掛けながら鹿革製の鞠を地面に落とさないよう蹴り合う。
境内に15㍍四方の四隅に竹を立てた「まり場」で、それぞれの妙技を競う。サッカーなどと違うのは、勝敗はなく右足だけを使う点。相手が蹴りやすいように蹴るのが上手とされる。遠目には優雅な遊びとも映るが、傍で見るとメンバーの息遣い、そして取り損ねるのを防ごうと時折スライディングしそうなケースもあり、技術や体幹・体力も必要なことが分かる。参拝客からはメンバーの妙技に歓声が上がっていた。

道鏡建立の由義寺跡の赤茶けた瓦・壁土など公開

道鏡建立の由義寺跡の赤茶けた瓦・壁土など公開

大阪府立狭山池博物館で、奈良時代の女帝、称徳天皇の寵愛を受け、強大な権力を誇った弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が建立した由義寺(ゆげでら)・塔跡(大阪府八尾市)出土の瓦約250点を展示する特別展「蓮華(れんげ)の花咲く風景-仏教伝来期の河内と大和」が開かれている。2018年1月28日(4日まで休館)まで。
後ろ盾だった称徳天皇を失ってから、京を追われた道鏡のゆかりの地の痕跡を消すかのように、この由義寺は焼き払われたとみられ、その際の熱を受けて赤茶けた瓦や壁土もあり、塔が火災で倒壊したときの生々しい様子が伝わってくる。
塔跡では一辺20㍍の基壇が見つかり、東大寺(奈良市)の七重塔に次ぐ高さ60~70㍍もある塔と推定され、当時の道鏡の権力の大きさを裏付けている。

佐賀で恒例の「カノン砲」で祝う新年 明治維新150年

佐賀で恒例の「カノン砲」で祝う新年 明治維新150年

明治維新150年を迎えた2018年。幕末の西南雄藩、薩長土肥の一角、佐賀藩ゆかりの「カノン砲」を放って新年を祝う神事が1月1日午前〇時ごろ、佐賀市の佐嘉神社で行われた。同神社周辺・一帯には、時ならぬ大きな”砲声”が響き渡り、集まった観客からはその迫力に歓声が上がっていた。
カノン砲は肥前・佐賀藩が幕末につくった大砲で、復元されたものを年始に放ち、新年を祝うのが恒例となっている。

江戸期の豊かな食文化を出土の食器や食物残滓で紹介

江戸期の豊かな食文化を出土の食器や食物残滓で紹介

京都市上京区の市考古資料館で、食の歴史に関する発掘調査の成果を報告する企画展「江戸時代の食-食物残滓(ざんし)からわかること」が開かれている。2018年1月21日まで(3日まで休館)。
公家町の一角だった京都御苑(上京区)と、町人の町があった下京中(下京区)の発掘調査で出土した食器や、多様な動物や魚の骨や貝殻など遺物約90点を展示。マダイやブリ、トビウオなど多様な海産物が京都まで流通していたことや、現在よりも大きな貝類が獲れていたことなど、想像以上に豊かだった江戸時代の食文化を紹介している。

『歴史くらぶ』2017年10大ニュース

『歴史くらぶ』2017年10大ニュース

1.世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」
2.「沖ノ島」8つの構成資産一括で世界遺産に
3.200年ぶり天皇退位 19年4/30 5/1即位・新元号
4.11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見
5.古代の巨大ペンギンはティラノサウルスと共存
6.大阪・茨木市で弥生期の大規模墓跡140基発見
7.奈良・小山田古墳で石舞台級の巨大石室見つかる
8.長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通
9.39億年前の岩石から世界最古の生命の痕跡発見
10.9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナ確認

今年も1年、ご覧いただきありがとうございました。
『歴史くらぶ』編集室

国内最古、縄文草創期のクリの実か 長野の遺跡

国内最古、縄文草創期のクリの実か 長野の遺跡

長野県・上松(あげまつ)町は12月25日、町内の「お宮の森裏遺跡」で見つかったクリの実が、国内の発見例として最古となる縄文時代草創期(1万6000~1万1000年前)のものと判明したと発表した。
見つかった多くのクリの実・破片のうち、形が残る実が2個(縦横1.2~1.3㌢)に、乾燥などで収縮しているが、人為的に開けたと思われる小さな穴があり、今後調査を進めるという。
上松町によると、これらのクリの実は国道19号線バイパス工事に伴い、1992年ごろ竪穴式住居跡から出土し、保管されていた。これらは2016年、民間の分析機関に依頼し、放射性炭素年代測定などで1万2900~1万2700年前のものと特定された。
これまでは静岡県沼津市の遺跡から出土した縄文時代早期(1万1000~7000年前)のものが国内最古として知られていた。

縄文時代の”幻の貝塚”約120年ぶりに見つかる 東京・豊島区

縄文時代の”幻の貝塚”約120年ぶりに見つかる 東京・豊島区

東京・豊島区の住宅街で、研究者の間で”幻の貝塚”と呼ばれていた縄文時代の遺跡、「池袋東貝塚」がおよそ120年ぶりに見つかった。周辺には大規模な集落が広がっていたとみられ、貴重な発見だと注目を集めている。
およそ3000年から4000年前の縄文時代後期の遺跡、池袋東貝塚は明治時代に発見されたという記録があったが、豊島区教育委員会によると周辺の宅地化が急速に進んだことなどから、その後所在が分からなくなっていた。
今年10月、豊島区の東武東上線の下板橋付近の住宅街で建物の建て替え工事が行われた際、大量の土器や貝が見つかり、当時の記録と出土した遺物や場所がおおむね一致したことなどから、池袋東貝塚と確認された。
遺跡からは縄文土器のほか、ハマグリやカキ、それにシカやイノシシなどの動物の骨が大量に見つかった。また当時の人が土を盛ってつくった盛土遺構が見つかったほか、火を起こした跡も確認され、豊島区教育委員会は遺跡が集落の一角だったと考えられるとしている。

「縄文人」は他のアジア人から分かれ独自進化した集団

「縄文人」は他のアジア人から分かれ独自進化した集団

国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、日本人のルーツの一つ「縄文人」は2万~4万年前、他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが分かった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。
グループは東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地(さんかんじ)貝塚の縄文人人骨の奥歯の提供を受け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析措置を使用、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。
その結果、驚くべきことが分かった。これまで縄文人は身体的な特徴などから東南アジアに起源を持つ人々と近いと思われていたが、実際にはこれらアジアの人々とはかけ離れていたことが分かったのだ。グループによると、縄文人の祖先は4万~2万年前、他のアジア人集団から分かれ、独自の進化を遂げた後、日本列島に渡来したという。

平城宮跡から大規模な”洗い場”の遺構 宴の準備施設跡か

平城宮跡から大規模な”洗い場”の遺構 宴の準備施設跡か

奈良市の平城宮跡で、大規模な”洗い場”の跡とみられる遺構が見つかった。発掘調査を行った奈良文化財研究所によると、「続日本紀」などの古代の歴史書に、この付近で天皇や貴族が盛大な宴を催したとの記述があることから、宴の準備をするための施設だったのではないかとみている。
今回遺構が見つかったのは、平城宮跡の東にある皇太子の宮殿などがあった東院地区で、4㍍四方の巨大な井戸の跡と、井戸の水を流したとみられる幅1㍍ほどの溝の跡が見つかった。溝は井戸から近くにある建物跡に続いていて、周辺からは奈良時代の食器やたらいといった、食事に関連する土器などが数多く見つかった。平城宮跡で洗い場の跡が見つかったのは初めて。

三十三間堂 1001体の千手観音像の修復完了

三十三間堂 1001体の千手観音像の修復完了

40数年にわたって少しずつ進められてきた、京都・三十三間堂(京都市東山区)の国の重要文化財に指定されている1001体の千手観音像の修復が12月22日、すべて終わり、最後の9体が堂内に運び込まれた。
修復では長年にわたり付着したほこりを取り除いたうえ、表面の金箔がはがれるのを防ぐため、にかわを塗るなどの処置が施されたという。その結果、いずれも落ち着いた黄金色の輝きを取り戻した。
千手観音像の修復は、昭和48年度から文化庁の補助金を含め、およそ9億2300万円をかけて毎年少しずつ行われ、45年目の今年ようやく完了したもの。

過去にも北海道沖で超巨大地震「切迫の可能性」

過去にも北海道沖で超巨大地震「切迫の可能性」

政府の地震調査研究推進本部は12月19日、北海道沖の千島海溝沿いで、マグニチュード(M)8.8以上の「超巨大地震」の発生が「切迫している可能性が高い」と発表した。30年以内に発生する確率は7~40%だという、
同本部によると、超巨大地震が想定されるのは十勝沖や根室沖、択捉島沖にまたがる震源域。過去には平均340~380年ごとに発生し、直近では約400年前の17世紀前半に起きたとみられる。この時の津波は北海道の大樹町で高さ18㍍まで達したほか、豊頃町では4.4㌔内陸まで浸水した痕跡が見つかっているという。

伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

京都市伏見区の伏見城跡で、徳川家康が築いた石垣の内側から、それ以前の豊臣秀吉が築いたとみられる別の石垣が新たに見つかった。この石垣は伏見城跡の西側で予定されているマンションの建設に先立って行われた発掘調査で見つかったもの。
不動産調査会社の発表によると、家康が築いた石垣の内側から幅4.2㍍にわたって別の時期に築かれたとみられる石垣が新たに見つかったという。石の表面が赤茶色に変色したり、ひびが入ったりするなど炎にさらされた痕跡があることから、「伏見城の戦い」で焼けた秀吉時代の石垣とみられる。
秀吉の大坂城が焼失・崩落した後、家康によって再建された大坂城でもそうであったように、家康は伏見城再建にあたり、豊臣の城の痕跡を消すようにして石垣をつくり直し、天下人としての権威を世に知らしめようとしていたとみられる。
伏見城は1594(文禄3)年に豊臣秀吉が築城し、大地震で倒壊した後は、場所を変えて新たに築かれた。その後、関ケ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で焼け落ちたが、徳川家康によって建て直された。

与謝蕪村の”遊び心”伝わる、未知の8句見つかる

与謝蕪村の”遊び心”伝わる、未知の8句見つかる

「春の海 ひねもすのたり のたりかな」「菜の花や 月は東に 日は西に」などの句で知られ、俳画にも特異な才を発揮した江戸中期の俳人、与謝蕪村(よさぶそん、1716~1783年)が詠んだ未知の8句が見つかった。清泉女学院大の玉城司客員教授が京都市の古美術商から入手した資料で判明した。
句には、蕪村のひいきの芸者2人の名を組み合わせた名前が記され、一緒に軸装された弟子の松村月渓の画の文章が”種明かし”している。縦22.6㌢、横33㌢の紙に「昨非(さくひ)評十題」として、計10句が記されている。署名は「雛糸(ひな・いと)」。
その事情を説くのが月渓の画(縦19.2㌢、横31.4㌢)の文章。蕪村を指す「夜半翁(やはんおう)」が「昨非をだまして、その日の「座の」笑いを取ろうと、わざと下手な字で下手な句を詠んだ」との内容を説明するとともに、芸者の「小ひな」と「小糸」の2字を「かりそめに、たわむれの名(雛糸)」にしたと明かしている。句自体の評価はさておき、これらの経緯から蕪村の”遊び心”がたっぷり伝わってくる。

中生代に繁栄した海の爬虫類の最古の化石を発見

中生代に繁栄した海の爬虫類の最古の化石を発見

東京大学、ドイツのボン大学などの調査研究チームは、ドイツの約2.05億年前(三畳紀最末期)の地層から、中生代に繁栄した海の爬虫類、首長竜(プレシオサウルス類)の最古の化石を発見し、新属新種としてラエティコサウルス・メルテンシと命名した。
これまで首長竜は中生代のジュラ紀に出現したと考えられてきたが、今回の発見により首長竜の起源がジュラ紀より古い三畳紀まで遡ること、また首長竜が三畳紀・ジュラ紀境界(約2.01億年前)に起きた大量絶滅を生き延びていたことを明らかにした。
ラエティコサウルスを含む首長竜は、ずんぐりした体幹と4枚の翼状のひれを持ち、外洋で効率的に泳ぐことに適していたと考えられる。さらに骨組織の解析から、ラエティコサウルスを含む首長竜が爬虫類としては例外的に体温を高く保つことによって早く成長していたことも分かったとしている。

今年の漢字は「北」ミサイル発射繰り返した北朝鮮など反映

今年の漢字は「北」ミサイル発射繰り返した北朝鮮など反映

今年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」が12月12日、京都・清水寺で発表され、「北」が選ばれた。例年通り、京都に本部がある日本漢字能力検査協会が一般から募集した結果、「北」が最も多かった。
この理由は①国連安保理の避難や警告を無視し、北朝鮮が弾道ミサイルの発射を繰り返すなど北朝鮮の動向に振り回され、脅威と不安を感じた1年だった②九州北部豪雨の災害で、福岡県朝倉市や大分県日田市などで大きな被害に見舞われた―などが挙げられている。
なお、2番目に多かったのは政治家の様々な不祥事など政治に絡む問題が相次いだことなどから「政」、3番目は「不」だった。

信長居館跡・庭園にカラフルな石敷き詰めた池の痕跡

信長居館跡・庭園にカラフルな石敷き詰めた池の痕跡

岐阜市教育委員会はこのほど、岐阜公園内にある織田信長居館跡の発掘調査で、庭園に赤、青、黄などカラフルな石を敷き詰めた池の痕跡が見つかったと発表した。
識者らは、平安時代の公家文化を取り入れたと推測。同市教委は、信長が招いた客人をもてなすため設けたものとみている。池に水がたまっていた跡は東西4㍍、南北1.8㍍。長径2~3㌢の河原石およそ1万個が敷き詰められていたとみられる。
石を敷き詰めた池は、平安時代中期、栄華を極めた貴族、藤原頼通が造った平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の池などにもみられる。
調査は2007年に始まり、本年度が最後。庭園はこれまで7カ所が確認され、今回見つかった池は、居館南側の「庭園3」。

福岡・仲島遺跡で後漢の銅鏡、完全な形で出土

福岡・仲島遺跡で後漢の銅鏡、完全形で出土

福岡市によると、同市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で見つかった。
弥生後期の銅鏡が欠けたり割れたりしていない状態で発掘されるのは極めて珍しく、福岡平野では初めてという。
今回見つかった銅鏡は直径11.3㌢で、「内行花文鏡」と呼ばれるタイプ。こうもりのような紋様に、子孫繁栄を意味する「長宜子孫」4文字が刻印されていた。さびもなく、ものがかすかに映り込むほど鏡面の状態が良かった。

天皇に即位日を閣議決定 2019年4/30 準備本格化

天皇退位日を閣議決定 2019年4/30 準備本格化

政府は12月8日の閣議で、天皇陛下が退位される日を2019年4月30日と定めた政令を決定した。退位に伴い、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位する。
政府は今後、退位や即位の儀式のあり方に関する検討を本格化させる。新元号は2018年中に公表される。即位と同じ日に改元も行われ、これにより平成は31年で幕を下ろす。
天皇退位は1817年の光格天皇以来、約200年ぶりで、現行憲法下では初めて。

武市半平太の田畑売却示す直筆証文発見 肖像画も

武市半平太の田畑売却示す直筆証文発見 肖像画も

尊王攘夷を唱え、坂本龍馬とともに「土佐勤王党」を主導した幕末の志士、武市半平太が地元の豪農に田畑を売ったことを示す直筆の証文が見つかった。専門家らは後の土佐勤王党の一員となる志士らが通った剣術道場の運営資金に充てられたとみている。
武市半平太にゆかりの深い地元の豪農の子孫が所有する高知市の蔵を調べた結果、分かったという。この証文は嘉永5(1852)年、当時24歳だった半平太が田畑や山林を売ったことを示すもの。高知県の佐川町立青山文庫の松岡司名誉館長が鑑定した結果、直筆で署名と黒い印章も本人のものと確認された。
このほか、本人が使ったとみられる刃渡り55㌢の脇差しや、明治以降に描かれた珍しい立ち姿の肖像画(縦115㌢・横40㌢)なども見つかった。
半平太は、幕末の激化した土佐藩内の主導権争いを巡って切腹を命じられ、明治維新を目前にした慶応元(1865)年、志半ばで37歳の生涯を閉じた。