参議 篁
※小野 篁
わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよあまのつりぶね
【歌の背景】仁明天皇の承和年間に乗船のことについて、遣唐大使と争ったため、嵯峨天皇の怒りを受け、官位を剥奪され隠岐島へ流された。これは、その島流しのため、難波から船で出発するとき詠んだもの。
【歌 意】広い大海原を多くの島々の間を通り過ぎながら、(私の舟が)沖へ漕ぎ出していったと、(都にいる)あの人にだけは伝えてくれよ、波に浮かぶ海人の釣り舟よ。
【作者のプロフィル】参議小野峯守の長男。淳和天皇の承和元年、遣唐副使として出発したが、暴風に遭って引き返し、その後再三の出発も果たさなかった。彼は病気と称して役を辞し、同5年「西道謡」という詩を作り、遣唐使のことを批判したので嵯峨上皇の咎めを受け、隠岐に流された。承和7年、文才を惜しまれて召し返され、14年参議になる。仁寿2年(852)12月没。51歳。