私説 小倉百人一首 No.25 三条右大臣

三条右大臣
※藤原定方

名にし負わば逢坂山のさねかづら
       人に知られでくるよしもがな

【歌の背景】忍ぶ恋の思いを歌ったもの。「逢坂山」には「逢う」、「さねかづら」には「さ寝」が、「来る」には「繰る」が掛けてあり、歌の作り方としてはなかなか凝っている。

【歌 意】逢うて寝るという名を持つ逢坂山のさねかづらよ、その名前通り恋人に逢って寝るという力を備えているものなら、誰にも知られることなく蔓を手繰ってあなたのもとにたどり着き、逢って共寝する。そんなこっそりと逢う方法があればいいのだが。

【作者のプロフィル】藤原定方。正二位内大臣藤原高藤の二男。母は宮内大輔弘益のむすめ。醍醐天皇の延長2年正月右大臣に任じられ、従二位になった。京の三条に邸を構えていたので三条の右大臣といわれた。管弦の名手としても知られた。承平2年(932)8月、60歳(57歳とも)で没。

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