僧正遍昭
天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ
乙女の姿しばしとどめむ
【歌の背景】毎年11月、宮中で催される豊明節会の折り、公卿や国司の未婚の美女を召して舞を舞わせた。その舞姫をみて天女を連想して詠んだもの。
【歌 意】空を吹く風よ、(天女が往来するという)雲の中の通り道を、雲を吹き寄せて閉じてくれ。あの天女たちの華やかな姿をいましばらく地上にとどめておきたいから。
【作者のプロフィル】大納言良岑安世の八男。素性の父。安世は桓武天皇の皇子で、良岑の姓を賜った。遍昭は出家してからの名で、それ以前は良岑宗貞と称していた。仁明天皇の恩顧のもとに蔵人頭にまで至ったが、35歳で帝の崩御に遭い出家した。以後各地で修行の後、叡山の慈覚大師(円仁)、智証大師(円珍)に師事して伝法灌頂を受け、権僧正、僧正に至り、元慶寺座主、花山僧正と呼ばれた。75歳で没。