天智天皇
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ
【歌の背景】天皇が農夫の秋の田を刈る前の労苦を思いやって詠まれた歌。ただ、歌の調子は決して奈良時代の万葉調ではなく、平安朝初期のもの。万葉の歌から派生し、天智天皇御製として伝えられてきた間に、平安朝の歌風の“洗礼”を受け、変化したとみられる。
【歌 意】秋の豊かに実った稲を刈り干すための仮小屋は、その屋根を葺いた苫の目が粗いので、そこで夜番をする私の衣の袖はその隙間から漏れ落ちる露に、いつも濡れ通しである。
【作者のプロフィル】第38代の天皇。舒明天皇の皇子。母は皇極天皇。中大兄皇子として、藤原鎌足らと蘇我入鹿をたおし、大化の改新を断行。斉明天皇の崩御6年で都を近江の大津に遷し、翌年即位。在位4年(672)目に46歳で亡くなった。斉明天皇の6年5月8日(陰暦)、初めて水時計を作られた。6月10日(陽暦)を「時の記念日」としているのは、これに基づいている。