「田植歌」112年ぶりに復活 天理・大和神社
奈良県天理市の大和(おおやまと)神社で2月10日営まれた「御田植祭」で明治時代に絶えていた「田植歌」が112年ぶりに復活した。
神社総代や雅楽団体「青丹雅楽会」のメンバーらによる歌と竜笛が流れ、厳かな雰囲気に包まれる中、五穀豊穣を願って、昔ながらの鋤き入れから田植えまでを演じた。
氏子らが1年半前から古文書を調べ、懸命に稽古を重ねるなど準備を進めてきたもので、祭典を本来の姿に戻し、後世につないでいきたい-と話していた。


道鏡ゆかりの由義寺の存在裏付ける塔の基壇見つかる
大阪府八尾市文化財調査研究会は2月9日、奈良時代に女帝・称徳天皇(在位764~770年)と、その寵愛を受けて「法王」の座に就いた僧・道鏡(?~772年)が建立した由義(ゆげ)寺があったととみられていた大阪府八尾市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡で、巨大な塔と思われる建物の基壇(土台)が見つかったと発表した。
同市教委や調査研究会は、文献でしか確認されてこなかった由義寺の存在を裏付ける貴重な史跡とし、保存も検討するという。
基壇は約20㍍四方で、奈良時代後半の地層から見つかった。一辺20㍍の基壇から類推すると、同寺には高さ60㍍級の七重塔が建っていた可能性があるという。付近からは塔頂部の装飾品「相輪(そうりん)」の破片とみられる銅製品も見つかった。
殉教の高山右近「福者」に 大阪の列福式に参列者1万人
戦国時代の”殉教”のキリシタン大名、高山右近がカトリックの「福者(ふくしゃ)」に認められたことを宣言する列福(れっぷく)式が2月7日、大阪城ホール(大阪市)で開かれた。
バチカン(ローマ法王庁)からローマ法王代理として派遣された枢機卿が進行役の主司式を務め、日本各地から信者ら約1万人が参列した。式では法王代理のアンジェロ・アマート枢機卿が法王の書簡を読み上げ、イタリア語で「福者の列に加えます」と告げた。カトリックは今後、右近が亡くなった2月3日を記念日として毎年祝うという。福者はカトリックで聖人に次ぐ崇敬の対象で、右近は2016年1月、法王から承認された。
右近は戦国時代、今の大阪府豊能町で生まれ、12歳で洗礼を受けた。豊臣秀吉のバテレン追放令で、多くのキリシタン大名らが身分、財産が没収され、罪人とされるのを恐れ、相次いで改宗した中でも信仰を捨てず、1614年、江戸幕府の禁教令で国外追放となり、翌年フィリピン・マニラで亡くなった。
仏教界は「本能寺の変」に喝采 信長を痛烈批判
愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」によると、織田信長を批判的に評した詩文が引用され、当時の仏教界の信長に対する悪感情が読み取れ、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変に喝采を送ったことがうかがわれる。これは、豊橋創造大の島田大助教授(日本近世文学)や金西寺の高崎俊幸住職が発表したもの。
本能寺の変の翌月の1582年7月につくられた開山記の詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家を蔑(ないがしろ)にして万民を悩まし、苛政や暴虐は数えきれない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」といった意味の記述があった。
さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、光秀を「勇士」と称え表現した記載も見える。また、仏教界にとって悲惨な事件、信長の暴挙ともいうべき「比叡山の焼き討ち」にも言及していた。
「さっぽろ雪まつり」に興福寺中金堂の大雪像登場
札幌市の大通公園に2月5日、奈良市で300年ぶりに再建される興福寺中金堂の大雪像が完成した。6日から始まる「さっぽろ雪まつり」の目玉の一つとして制作されたもの。天平時代の名刹が本物より一足先に、札幌の地に蘇った。
この大雪像、陸上自衛隊員延べ約3800人が約30日間かけて精巧に再現したという。5日夜にはこの大雪像をバックに、プロジェクションマッピングで興福寺の国宝、阿修羅像が現われ、白銀の世界に幻想的な雰囲気を醸し出していた。
興福寺の中金堂は、元明天皇による平城京への遷都の際、後の藤原氏栄華の礎をつくった藤原不比等によって建てられた。平安時代以降、焼失と再建が繰り返され、江戸時代中期の1717年の7回目の焼失後は再建されていない。今回は2017年の創建1300年を前に再建計画がスタートし、2018年に落慶予定だ。
人類の遠い祖先か 中国で古代生物の化石発見
英ケンブリッジ大学、ドイツのカッセル大学、中国の西北大学などの研究者による合同チームによると、中国北西部の陝西(せんせい)省で約5億4000万年前に生息していたと推定される古代生物の化石が発見された。
体のサイズに比べて異様に大きな口を持つこの生物は「人類を含む多種多様な生物の共通の祖先である可能性がある」という。英学術誌「ネイチャー」に論文が掲載された。
研究者らは、この生物が後口動物上門に分類される新種だと判断し、サッコリタス・コロナリウス(Saccorhytus coronarious)と命名した。属名のサッコリタスは「袋状の体」、種名のコロナリウスは「王冠状の口」に由来するという。
この生物が約5億4000万年前の古生代カンブリア紀に生息していたと考えられ、後口動物の化石としては最古のものとされる。
地球の酸素イオンが月に到達 探査機「かぐや」が観測
大阪大学などの研究チームは、月周回衛星「かぐや」の観測データを解析した結果、地球から流失した酸素イオンが月に到達していたと発表した。1月31日付の英科学誌「ネイチャー・アストロノミー」電子版に掲載された。
地球の表面から流出した酸素イオンが、太陽から吹き出す粒子の流れ(太陽風)の影響を受けて38万㌔離れた月に運ばれ、月の土に入り込んでいる可能性もあるとみている。
地球では24億年前から酸素が増えだしたといわれており、月はこのころから地球由来の酸素イオンを浴び続けている可能性がある。大阪大学の寺田健太郎教授は「月の土には太古の地球の大気の痕跡の一部が保存されている可能性もある」と話している。
日本の人口1億人割れは2053年前後 厚労省推計
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が5年に1度行っている50年後の推計人口原案によると、人口が1億人を割り込むのは2053年前後と、前回の推計と比べて5年ほど遅くなり、人口減少の速度は鈍るとみている。
2065年までの推計人口原案によると、近年30~40代の人たちの結婚や出産に関する動向に上向く兆しがみられるとして、1人の女性が一生のうちに出産する人数の指標となる「合計特殊出生率」は、50年後は1.44程度に改善すると予測している。ちなみに前回5年前の推計の数値は1.35だった。
これに伴い、2015年に1億2709万人だった人口は、2053年前後に1億人を割り込み、2065年には4000万人近く少ない8800万人余りになると予測している。
弥生時代中期の土偶出土 目鼻、耳の穴も原形とどめる
大阪府文化財センターによると、大阪府茨木市の郡(こおり)・倍賀(へか)遺跡で弥生時代中期とみられる人形土製品(ひとがたどせいひん)1点が見つかった。人をかたどった土偶の人形土製品は、弥生中期のものとしては府内では初めてで、ほぼ原形をとどめて出土したのも珍しいという。
今回の発掘調査で、140基を超す墓跡「方形周溝墓」とともに見つかったもので、高さ5.9㌢、胴幅3㌢で、球形の頭部と底が平らな円筒形の胴体部でできている。目鼻だけでなく、耳の穴まである精巧なものという。このほか、碧玉(へきぎょく)製とみられる装身具の管玉(くだだま)3点も見つかっている。
大阪・茨木市で弥生時代の大規模墓跡140基発見
大阪府文化財センターは1月26日、大阪府茨木市の郡(こおり)遺跡・倍賀(へか)遺跡で発掘調査の結果、集落の部分とは別の部分に大小140もの墓の跡が集まっているのが見つかったと発表した。
弥生時代中期のものとみられ、大きなものは縦12㍍、横18㍍、小さなものは約3㍍四方で、様々な大きさの墓跡が混在していた。これらは「方形周溝墓」という形で、周囲が溝で囲まれた墓。弥生時代の状態の良い墓の跡がこれほど多く見つかるのは珍しい。
同センターは「大阪北部の拠点だったとみられる大規模な村」と推定。大阪大学の福永伸哉教授は「墓数が多く、国内有数の規模だ。墓の規模にばらつきがあり、少し階層的な関係が芽生え始めていたことが分かり、集団の内部構造を知る重要な手掛かりになる」と話している。
今回2016年6月以降、約1万6500平方㍍を発掘調査したところ、ほぼ全域で140基以上の墓跡が確認された。
また、これらの墓跡群のすぐ東で22棟分の竪穴建物跡や装身具の管玉、人の歯、人の顔を表現した約6㌢の人形土製品なども見つかった。
淡路・舟木遺跡で大型鉄器工房跡 国内最大級か
兵庫県淡路市教育委員会は1月25日、弥生時代後期の舟木遺跡(淡路市舟木)から大型の鉄器工房跡を確認したと発表した。遺跡中心部から鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。
同市教委は、同遺跡全体の鉄器工房の規模が、南西約6㌔にある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。
舟木遺跡は約40㌶の大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方㍍を調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、鉄器工房は確認されていなかった。
今回出土した鉄製品の明確な使途は分かっていないが、鍛冶に関連したものと、工具とみられる針状のものなどがある。鉄の加工に使った台石や砥石など石製工具42点や祭事用と考えられる弥生時代終末期(3世紀初頭)の土器も出土した。
同市教委は、建物跡は鉄器生産工房と、鉄工具を使用した何らかの生産工房で、大規模な工房群の存在も想定できるとみている。
一茶が題材の「遥かなる信濃」藤沢周平の小説草稿発見
1月26日に没後20周年を迎える藤沢周平(1927~97年)の未発表小説の草稿が見つかった。江戸後期の俳人、小林一茶を題材に、遅咲きの藤沢が作家デビューした1971年ごろに書かれたとみられる。
草稿は「遥かなる信濃」と題され、原稿用紙で実質74枚。内容は40代後半の一茶が世話になった俳人、夏目成美の別邸で起きた盗難事件で犯人扱いされたことや、その後の日々を綴っている。
元担当編集者の鈴木文彦さんが1月21日発売された月刊誌「オール読物」2月号(文芸春秋)で概要を発表している。草稿の全文は紹介されていない。
藤沢は1978年に評伝小説「一茶」を刊行しており、一茶に対する藤沢の思い入れの深さを感じさせる。
「千葉時代」誕生に期待 地質年代名で日伊が攻防
地球の歴史を刻む地質年代に、初めて日本の名称が付くのか注目が集まっている。地球の磁気が逆転した数十万年前の年代名について、日本は千葉県に由来する「チバニアン」(千葉時代)を提唱しているが、命名を争うイタリアとの攻防が激化しているもの。
地球の誕生から現在までの約46億年を時代ごとに区切ったのが地質年代だ。地球の磁気や生物、気候などの変化を基に古生代、中生代、新生代などの大きな年代や、さらに細かい年代が決められている。
ただ、まだ名前がない年代もある。長期にわたり支配した恐竜が絶滅した後、哺乳類が繁栄した新生代のうち、約77万~12万6000年前の「第四紀中期更新世」がその一つ。この名称をめぐって日本とイタリアが激しく争っている。
日本は千葉県市原市の地層を基準地にチバニアンの名称を提唱。イタリアは南部2カ所の地層を提案し、いずれも地中海のイオニア海に由来する「イオニアン」の命名を目指す。
国際地質連合は5月末に申請を締め切り、作業部会で数カ月後に最有力地を決め2018年にも正式決定する。基準地の地層はその年代を示す国際標準の役割を持つ。このため①海で連続的に積もった安定した地層②当時の環境か詳しく分かる③地磁気の逆転が分かる-などの条件を満たすことが望ましい。
日本が当初イタリアより優勢だったのは、地磁気の逆転を示す明確なデータがあるからだ。これに対し、イタリアも地層に含まれる放射性元素の分析でその変化を捉え、巻き返している。この結果、現時点では勝敗の行方は五分五分という。チバニアンに決まれば、地球史の中での日本列島の重要性が再評価されることになるのだが…。
アイヌ木綿衣 世界最古級の可能性 ロシア所蔵品と酷似
北海道釧路市立博物館所蔵のアイヌ民族の木綿衣(もめんい)が世界最古級の可能性が高まっている。現存する世界最古の木綿衣とされるロシア科学アカデミー・ピョートル大帝記念人類学民族学博物館(通称クンストカメラ)が所蔵する2点と見た目も縫製技法も酷似しており、研究者は同じ時期に北海道でつくられたものとみている。
この木綿衣は丈128㌢、両袖を広げた幅は136㌢。前部と背部に独特のアイヌ模様が施され、虻田地域(胆振西部、後志南部)で制作されたものとみられている。
国立民族学博物館の佐々木史郎教授が代表を務める研究チームによる調査が3月に終了後、早ければ5月にも一般公開される予定。
坂本龍馬 暗殺5日前の書状に「新国家」の文字
明治維新の関連資料からこのほど、幕末の志士、坂本龍馬が暗殺される5日前に書いたとみられる新政府の人事に関連する書状が新たに見つかった。
この書状に、これまで知られている龍馬の書状には見られない「新国家」という文字が記され、専門家は「(龍馬は)暗殺される直前まで『新国家』建設のため、邁進していたことが分かる貴重な発見」としている。
縦16㌢、横93㌢ほどの細長い和紙に毛筆で文字が記され、坂本龍馬の研究を行っている京都国立博物館の宮川禎一上席研究員らが鑑定して、筆跡や内容から龍馬の直筆で間違いないと判断した。
鑑定によると、書状は大政奉還の後、新政府の設立を急いでいた龍馬が京都で暗殺される5日前にあたる西暦1867年、慶応3年の11月10日に、越前・福井藩の重臣、中根雪江に宛てて書かれたものだという。
この中で龍馬は以前から親交があり、新政府の財政担当として適任だと考えていた福井藩士・三岡八郎(後の由利公正)が、京都に来て仕事ができるよう藩内の手続きを依頼するとともに、三岡が来るのが1日遅れれば、その分「新国家」の財政の成立が遅れてしまうと訴えている。
龍馬が「新国家」という言葉を使っているのが確認されたのはこれが初めて。龍馬が非業の死を遂げてから150年の今年、また一つ興味深い新たな事実が明らかになった。
薬師寺東塔「心柱立柱式」基壇も補強 20年完成目指す
奈良・薬師寺は1月9日、約1世紀ぶりの解体修理が進む国宝・東塔(三重塔・高さ34㍍)の再組み立てを前に、塔の中心を貫く心柱(しんばしら)を立て直し、工事の安全を祈る「心柱立柱式」を営んだ。2020年6月の完成を目指す。
これまで基壇(土台)から外して修理してきた心柱(約4.3㌧)をクレーンで吊り、基壇の中心に戻した。根元を木づちで打ち、無事の完成を願った。
土を何層にも突き固めた「版築(はんちく)工法」が施された創建当初の基壇が、強度を失っていたことが判明したことから、巨大な杭を打ち込み地盤を固め、鉄筋鉄骨コンクリートの新たな基壇を設けるなど最先端の補強工事を行いながら、再組み立てを進める。
東塔は2011年から解体され、部材の調査や補強が行われてきた。また、奈良文化財研究所が年輪年代測定を実施し、奈良時代前半に新築されたことが確定した。
南方熊楠生誕150年 シンポ、展示会など多彩な催し
世界的な博物学者、南方熊楠(1867~1941年)の生誕150周年となる今年、和歌山県田辺市や地元顕彰会などでつくる「南方熊楠翁生誕150周年記念事業実行委員会」は、シンポジウムや展示会など、年間を通じた様々なイベントを計画している。熊楠の業績と人生に光を当てて遺徳をしのぶとともに、様々な分野の人々との交流を深め、地域経済の活性化につなげたい考え。
記念事業をPRするプレイベントとして、3月4日に明治大学駿河台キャンパスでシンポジウム「宇宙大の熊楠」が開かれる。記念事業としては7月1、2の両日、紀南文化会館で熊楠も親しんだ短歌・俳句の大会を開く。8月19~22日には田辺市文化交流センター「たなべる」で熊楠が専門とした変形菌(粘菌)の国際学会「第9回国際変形菌類分類学・生態学会議」が開催される。
10月22日には同文化会館で記念式典とフォーラムを開催。12月19日からは国立科学博物館で「現在の科学から見た南方熊楠」をテーマにした展示会を開く。
京都・妙傳寺の仏像 実は7世紀の貴重な仏像と判明
大阪大学などの最新の成分分析調査などによると、京都・妙傳寺(京都市左京区)の、これまで江戸時代のものと思われていた青銅製の「半跏思惟像(はんかしいぞう)」(高さ約50㌢)が、実は仏教が伝来して間もないころに朝鮮半島でつくられた、極めて貴重な仏像の可能性が高いことが分かった。
大阪大学や東京国立博物館の研究者による鑑定の結果、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島でつくられた仏像や出土品の特徴と一致した。さらに「蛍光X線分析」による、仏像に使われている金属の成分分析で、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で、鉛はほとんど含まれていなかった。こうした割合の仏像は日本や中国にはなく、7世紀ごろ朝鮮半島でつくられた仏像である可能性が極めて高いことが分かったという。
蛍光X線分析は、金属にX線を当て、含まれる成分によって跳ね返ってくるX線の波長が異なることを利用した手法。今回の仏像の由来を解き明かす決め手の一つとなった。
ネアンデルタール人が食人 ベルギーの洞窟で証拠発見
AFP時事によると、ネアンデルタール人が馬やトナカイを食べるだけでなく、共食いもしていたことを示す証拠が、ベルギーのゴイエ洞窟群で発見された。
発見した研究チームによると、約4万年前に生きていた成人または若者4人と子供1人、新生児1人の人骨には内部の骨髄を取り出すために切断、粉砕された明確な痕跡があるという。ベルギー人考古学者のクリスティアン・カセイヤス氏は、ここで食人が行われていたことは、反論の余地がない-としている。
ゴイエ洞窟の人骨は、ネアンデルタール人が現生人類ホモ・サピエンスに取って代わられ、地球上で絶滅を迎えつつあったころの年代を示している。また、ネアンデルタールはホモ・サピエンスとも交配していた。
ネアンデルタール人による食人の事例はこれまで、スペインとフランスに存在した南欧のネアンデルタール人個体群でしか見つかっていなかった。
大型恐竜は卵のふ化に半年 遅いのが絶滅の一因か
米国フロリダ州立大など研究チームの化石の詳細調査によると、恐竜の卵はふ化するまでに、大型種で半年、小型種でも3カ月はかかったとみられることが分かった。このふ化の期間の長さが、恐竜絶滅の一因になった可能性があるという。米科学アカデミー紀要電子版に発表された。
恐竜は爬虫類の仲間だが、小型恐竜から進化した鳥類の卵のふ化まで11~85日程度と早いため、これまで恐竜も早いとの見方があった。卵のふ化に時間がかかると、肉食獣に食べられたり、洪水や嵐に遭ったりする危険性が高まる。恐竜が約6500万年前の白亜紀末に絶滅したのは、ふ化が遅く、巨大隕石の衝突などで環境が急変する中、激しい生存競争に負けたことが理由の一つかも知れないという。
調査対象はカナダで見つかった大型草食恐竜パクロサウルスと、モンゴルで発見された小型草食恐竜プロトケラトプスの、卵からかえる直前の子の化石。卵の重さはそれぞれ約4㌔、194㌘だったとみられる。
研究チームは歯の成長に伴って残る年輪のような細かい線をX線コンピューター断層撮影(CT)などで分析し、ふ化までの期間を推定した。
タイタニック号沈没に新説 原因は出航前火災の補修不備
英紙インディペンデント(電子版)によると、1912年に大西洋で1500人が死亡した豪華客船タイタニック号の沈没事故の原因について、英国の研究者が本来の原因は氷山衝突ではなく、火災だった-との新説を唱え、話題になっている。
この説を主張しているのは、30年以上にわたり沈没の謎を追ってきたセナン・モロニー氏。タイタニック号が4月の出航前、ボイラー室で火災事故を起こした。このことは指摘されていたが、新たな資料から右舷が約9㍍以上にわたって黒く焦げていた点を突き止めた。もろくなった損傷部分に、氷山との衝突で穴が開き、大惨事につながった-と説明している。
すなわち火災事故後、火災の影響を軽視し、(万全の修理が行われないまま)出航させた過失が重なったことが、沈没を引き起こしたと結論付けている。
ダチョウの祖先は飛べた DNA解析で新説 北半球に生息
日本、中国、デンマークなどの国際研究チームは、ダチョウなど飛べない鳥のグループ「走鳥類」の祖先は、北半球に棲む飛べる鳥だった-という新説を発表した。マダガスカルで絶滅した巨大な鳥の骨のDNA解析から走鳥類の起源は南半球にあったという従来の通説を覆した。米科学誌カレント・バイオロジーに論文が掲載された。
同チームは、マダガスカルで数百年前に絶滅した体高3㍍以上、体重400㌔㌘以上あった走鳥類「エピオルニス」の骨から、細胞核とミトコンドリアのDNAの採取・解析に成功。走鳥類に近い仲間も含めて系統関係を分析すると、走鳥類の祖先は7000万年前ごろは体重が2~5㌔㌘程度と、小型だったという推定結果が出た。北半球で化石が見つかっている飛ぶ鳥の特徴を持つ鳥類「リトルニス」に近いことも分かった。
同チームではもともとはリトルニスのように北半球にいた祖先が南半球に渡り、どこかの時点で飛ぶ能力を失い、哺乳類との競合が少なかったことで、多くの大型の種に進化したのではないか-とみている。
春日大社の黒漆太刀は平安~鎌倉期の国宝・重文級の名刀
春日大社(奈良市)は、約80年前に宝庫の天井裏から見つかった黒漆太刀(こくしつのたち)3本を研いだところ、1本が鎌倉時代後期の刀工・延寿国吉(えんじゅくによし)作、2本が平安末~鎌倉初期ごろの「古備前」と分かったと発表した。専門家は3本とも国宝・重文級の名刀と評価している。
黒漆太刀は装飾のない黒漆塗りの鞘(さや)を持つもので、武士が日常的に使ったため、現存例が少ないという。1939年、宝庫の解体修理時に9本が見つかったが、錆(さ)び付いて詳細は不明だった。今回このうち3本を、20年に1度の大改修、式年造替(しきねんぞうたい)に合わせて、人間国宝の本阿弥光洲氏に研ぎを依頼し、判明した。
延寿国吉作の太刀は全長106.8㌢で、「国吉」という銘文の書体などから分かった。
この1年間『歴史くらぶ』をご覧いただきありがとうございます。
1年を振り返り、2016年にあった出来事を10大ニュースとしてまとめてみました。
<『歴史くらぶ』2016年10大ニュース>
①ル・コルビジュ設計の国立西洋美術館 世界遺産登録
②戦艦武蔵の最期を大胆検証 海中爆発起こし砕け散る
③全国33の山・鉾・屋台行事 ユネスコ無形文化遺産に
④大宰府守る7世紀の大規模土塁発見、筑紫野丘陵で
⑤平城京にペルシャ人役人が勤務の痕跡、木簡に名前
⑥都塚古墳築造に3万人動員か、奈良明日香村
⑦松尾芭蕉直筆の連句・画、書簡16点見つかる
⑧後期難波宮の「官衙」役所建物群など発見 大阪市
⑨歌麿の浮世絵 史上最高値8800万円で落札 パリ競売
➉被埋葬者は舒明天皇か蘇我蝦夷?奈良・小山田遺跡
小型恐竜の生態解明へ 成長すると歯が退化、嘴に変化
中国科学院などの研究チームは、約1億6,000万年前のジュラ紀後期に生息していた小型恐竜リムサウルス(全長約2㍍)は、幼体時にあった歯が成長するとなくなり、嘴(くちばし)のように変わるとする研究成果をまとめた。米科学誌カレント・バイオロジーに掲載された。
研究チームは中国北西部で見つかったリムサウルスの19個体の化石を分析。幼体では42本の歯があったが、成長するとなくなることが確認できたという。幼体時は小さな虫や植物を食べる雑食で、成長すると草食に特化したらしい。
現在の両生類などで成長に伴い歯がなくなる例は知られているが、恐竜で確かめられたのは初めてという。鳥は恐竜から進化したとされ、今回の成果は鳥のくちばしの解明につながる可能性がある。
「明治の精神に学ぶ」明治150年記念施策まとめる
明治元年から満150年の2018年にあわせた記念施策を検討する政府の関係府省庁連絡会議は12月26日、関連施策の「基本的な考え方」をまとめた。「明治以降の歩みを次世代に遺す」「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」の2つの方針に沿って取り組む。2017年夏の18年度予算の概算要求までに各府省庁が具体策をまとめる。
「明治以降の歩みを次世代に遺す」では、議会制度や義務教育の導入、鉄道開業や郵便制度の施行など、近代化を表す当時の文書や写真などを集めて展示する。「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」では、能力本位の人材登用が進んだことに着目。全国各地で活躍した若者や女性、外国人の存在を掘り起こす。「機会の平等」「チャレンジ精神」「和魂洋才」などを知ることにつなげるのが狙い。建築物の公開などを通じ、当時の技術や文化に触れる機会も増やす。
東大寺 超高層「幻の七重塔」専門家がイメージイラスト
奈良時代の創建当初、七重塔として威容を誇ったとされる東大寺の東塔を再現したイメージイラストが、専門家らによる検討会により制作され発表された。発掘調査の成果と文献史料の記録などに基づき、約100㍍の「超高層建築」の姿を想定したものとなっている。
東塔は760年代ごろ、大仏殿南東に建てられ、平安時代末に平氏の焼き打ちに遭って焼失。鎌倉時代に再建されたが、1362年に落雷で再び焼け落ちた。高さは約70㍍と約100㍍という記録があるが、いずれとも確定はしていない。
東大寺は、東塔の復元も視野に入れ、2015年から奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所と共同で発掘調査を進めている。
薬師寺東塔 新築?・移築?論争決着へ 奈良時代に新築
薬師寺と奈良文化財研究所(奈文研)が12月19日発表した年輪年代測定の中間結果によると、薬師寺東塔(国宝、高さ約34㍍)は奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。
奈文研は、2009年から約110年ぶりに解体修理が進められている東塔で、取り外された初層(1階)の天井板2点に対し年輪年代測定を実施し、伐採年が729年と730年と判明。塔中央の心柱についても測定が行われ、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。伐採年が、710年の平城遷都前の飛鳥時代まで遡る結果は、これまで確認されていない。
東塔を巡っては、飛鳥時代の藤原京(694~710年)からの「移築説」と、平城京遷都後の現在地での「新築説」があり、論争となってきた。しかし、今回の結果では新築説が確定的となった。
なお、薬師寺東塔の解体修理は2019年に完了する予定。
近松門左衛門の浄瑠璃の直筆草稿 尼崎市へ収集家が寄贈
兵庫県尼崎市教育委員会は12月15日、江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者、近松門左衛門(1653~1724年)の直筆原稿の一部が、所有者の古美術収集家から、近松の墓が残る尼崎市へ寄贈されることになったと発表した。12月21~25日に市立文化財収集庫で一般公開される。
同市教委によると、寄贈されるのは1708年初演の浄瑠璃「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」の一部で、縦24㌢、横12㌢の和紙に62文字が書き込まれている。江戸時代に文化人らの筆跡を集めた貼交帖(はりまぜちょう)に収録されていた。
市教委の担当者は、近松の草稿はこれを含めて2点しか見つかっておらず、とても貴重な資料だ-としている。
複数の女性像描かれた板絵見つかる 鳥取・青谷横木遺跡
鳥取県埋蔵文化財センターは12月15日、古代の道路遺構などが確認された鳥取市の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡で、複数の女性像が墨で描かれた板絵(7世紀末~8世紀初め)が見つかったと発表した。
飛鳥~奈良時代の女性群像の発見は、「飛鳥美人」で知られる奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)に次いで2例目。
絵はばらばらの板片5点に墨で描かれ、百橋明穂(どのはしあきお)神戸大名誉教授が調べた結果、6人の女性とみられる人物が描かれていることが判明した。
全身が残った図像はなかったが、目・鼻・口などが見えない顔と上半身の人物(長さ約7.5㌢)、「払子(ほっす)」とみられる仏具を持った人物の上半身(長さ約5㌢)、スカート(裳=も)をはいた下半身(長さ約8㌢)などの図像が確認された。
7世紀末~8世紀初めに築かれた古代の官道「山陰道」とみられる道路遺構に、10世紀後半に土地を区画した「条里」の遺構が交わる地点で出土した。
中国大陸や朝鮮半島など東アジア世界の文化交流の実像を浮き彫りにする貴重な資料として注目される。
仏でダビンチの新たなデッサン発見 18億円相当の価値
フランス・パリの競売会社タジャンは12月13日、ルネサンスの巨匠レオナルドダビンチの手になる新たなデッサンが見つかったと発表した。国内の地方在住の医師から持ち込まれた作品の裏に描かれていたもので、専門家が真正と認定した。1500万ユーロ(約18億円)相当の価値があるとみられる。
デッサンには聖セバスティアヌスが羽根ペンで官能的に描かれている。ダビンチが20代後半から30代前半に描いた8作品の一つと考えられている。タジャンによると、このデッサンについては米ニューヨークのメトロポリタン美術館のルネサンス絵画の学芸員もダビンチの真正作品と太鼓判を押している。AFP時事が報じた。
琥珀の中に9900万年前の恐竜のしっぽ 画期的な発見
ミャンマー北東部カチン州で発見された琥珀の中に、9900年前の羽根に覆われた恐竜のしっぽが保存されていたことが明らかになった。生物学誌『カレント・バイオロジー』に12月8日、この論文が掲載された。
琥珀はすでにアクセサリー用に磨かれていた。恐竜が生息していた時代の羽毛が琥珀の中から発見されることはこれまでにもあり、羽毛の痕跡のある恐竜の化石も発見されたこともあるが、保存状態の良い羽毛が恐竜とはっきりと関連付けられたのは今回が初めて。
今回の画期的な発見によって絶滅した恐竜の骨をどういう組織が覆っていたのか、地球の地上を1億6000万年以上も支配した生き物について、さらに理解が深まると期待されている。
「真田丸」の土塁の一部か 民間団体が天王寺で土層発見
大阪市天王寺区餌差町で発掘調査をしていた民間団体「『真田丸』発掘推進協議会」(会長・千田嘉博奈良大教授)は12月9日、真田丸の土塁の一部とみられる土層を発見したと発表した。真田丸の実態解明のための発掘は初めてという。
真田丸は大坂冬の陣(1614年)で豊臣方の武将、真田信繁(幸村)が立てこもり、徳川方に大きな損害を与えて撃退したことで知られる出城。多くの絵図には半円形の姿で描かれるが、千田教授らは真田丸を四角く描いた絵図や古い地形図、航空写真などから、現在は大阪明星学園がある場所を中心に、方形の姿に復元している。
調査では、古い地籍図で堀の痕跡のように見える区画の北側を約70平方㍍発掘し、人工的に土を盛った層を確認した。南の区画はやはり現在も堀状に低くなっており、盛り土は真田丸をめぐる土塁の可能性があるという。
戦艦武蔵の最期「水中で大爆発起こし粉々に砕け散った」
2015年3月、フィリピン沖の海底1,000㍍の深海で70年ぶりに戦艦武蔵がその姿(部分)を現した。米国のプロジェクトチームの8年にわたる捜索の結果だった。このほど同チームによって初めて膨大な量の映像・記録が公開された。
専門家(7名)による、こうした100時間を超える記録映像や、NHKが独自に入手した新資料の詳細な分析から、”無敵の不沈艦”だったはずの戦艦武蔵が、歴史の定説を覆し、実は致命的な”脆さ”を抱えた構造の戦艦だった実像が次々と浮かび上がってきた。
結論をいうと、①鋼板を2枚重ねて分厚くしていた装甲板が、想定外の米空軍機の執拗な攻撃を受け、また繰り返し受けた魚雷攻撃により、2枚重ねの鋼板を止めていたリベットが緩み、鋼板がまくれ、そこから海水が流れ込んだ②建造の際、想定された戦艦同士の戦闘にならなかったことから、装備されていた最大の武器であった160発の主砲(46㌢砲)が使われることなく、しかも100㌧もの火薬が弾薬庫に残っていた。これらが海中で燃焼爆発を起こした-という。
この結果、不沈艦、武蔵が沈み、1km四方の広範囲に、粉々の残骸が、まさにバラバラに砕け散って発見されたものと結論付けられた。弾薬庫部分の鋼鉄がグニャグニャに曲がっていたことで、その大爆発があったことが裏付けられるという。
問題は既述の、当時の技術では厚鋼板同士を精巧に溶接できずに使ったリベットの弱点を、戦艦大和で魚雷攻撃によりリベットがダメージを受け徐々に浸水してきた教訓を踏まえ、設計者が4万本のリベットの弱点の改善を上申したにもかかわらず、海軍上層部は聞く耳を持たなかった点にある。
こうして構想から9年の歳月をかけ建造された高さ31㍍(10階建てビルに相当)、全長263㍍、ジャンボジェット3機分の大きさの威容を誇った戦艦武蔵は、昭和19年10月24日、午後3時過ぎ、100機以上の米空軍機の攻撃を受け装甲板に魚雷が命中、左に傾きながら最後の乗員2399人とともにフィリピン沖に沈んでいった。生存者430人、ただし、後の陸上戦に動員され、そのほとんどが玉砕したとされる。