1 | 徳川幕府は巧妙なシステムと鎖国などにより長期支配を実現させたが、その期間はおよそ次のどれ?
正解! 不正解! 260年 |
2 | 大名の力を抑えるシステムとして参勤交代があった。この大名行列の人数は家格・石高によって異なるが、諸大名中最大の加賀藩(102万2000石)の場合は次のどれ?
正解! 不正解! 4000人 |
3 | 加賀藩が参勤(金沢から江戸)時、約480㌔㍍に要した日数はおよそ次のうちどれ?
正解! 不正解! 12泊13日 |
4 | 参勤にかかる費用は旅籠代、川越代、幕府高官への土産代など莫大な額となった。加賀藩の場合、現在の金額に換算して、1泊の旅籠代だけで要した金額は次のうちどれ?
正解! 不正解! 4000万円 |
5 | 物資輸送のため、西廻り海運(酒田から日本海、瀬戸内経由で大坂に至る航路)および東廻り海運(酒田から津軽海峡、太平洋経由で江戸に至る航路)の海路を整備した豪商は次のうち誰?
正解! 不正解! 河村瑞賢 |
6 | 河川の水路整備によって知られた京都の豪商は次のうち誰?
正解! 不正解! 角倉了以 |
7 | 徳川幕府は陸路では日本橋を基点とする五街道を中心に全国的に街道を整備した。奥州道中、日光道中、東海道、甲州道中、後1つ五街道はどれ?
正解! 不正解! 中山道 |
8 | 徳川の幕藩体制を支えたのは、財政基盤である年貢の負担者として最重要視された農民だが、その全人口に占める比率は次のうちどれ?
正解! 不正解! 8割 |
9 | 幕府が朝廷の統制を図るため「禁中並公家諸法度」を制定した将軍は次のうち誰?
正解! 不正解! 徳川秀忠 |
10 | 1627年、幕府と朝廷が衝突した事件とは次のうちどれ?
正解! 不正解! 紫衣事件 |
11 | 大名が1年おきに領国と江戸に移り住む参勤交代を制度化した将軍は次のうち誰?
正解! 不正解! 徳川家光 |
12 | 将軍の下に老中、若年寄、三奉行(寺社・町・勘定)の制度を定めたときの将軍は次のうち誰?
正解! 不正解! 徳川家光 |
13 | 3代将軍家光は派手好みで、日光東照宮造営の57万両はじめ11回を数える日光社参や、寛永11年の上洛の際、多額のカネを使った。この上洛の際、どれくらいの行列を引き連れたか、次のうちどれ?
正解! 不正解! 30万人 |
14 | 多くの大名の改易に伴い激増した牢人の問題が社会問題化し1651年、ある兵学者が牢人、丸橋忠弥らとともに蜂起を企図した事件「慶安の変」が発覚した。この首謀者とされた兵学者は次のうち誰?
正解! 不正解! 由井正雪 |
15 | 徳川吉宗が行った幕政改革、新田開発と倹約によって財政が安定し幕府の権威が回復したが、この改革は次のうちどれ?
正解! 不正解! 享保の改革 |
16 | 吉宗の改革路線を継承し、重商主義を積極化。株仲間を奨励するなど商人を保護、殖産興業の推進に努めたのは次のうち誰?
正解! 不正解! 田沼意次 |
17 | 江戸中期の徳川家の直轄領(幕領)はおよそ次のうちどれ?
正解! 不正解! 400万石 |
18 | 徳川時代の年貢は「六公四民」が原則だったが、実際には“目こぼし”があったといわれる。そうした点を加味すると本当の農民の年貢率は次のうちどれが実態に近い?
正解! 不正解! 30~35% |
19 | 1782年、東北地方を中心に冷害、翌年には浅間山が大噴火し、溶岩流による死者は2万人余、降灰被害は10余国に及び、冷害と相まって大飢饉に発展した。この際、弘前藩では1783~1784年にかけて多くの餓死者が出た。その数は次のうちどれ?
正解! 不正解! 8万人超 |
20 | 重税や飢饉に苦しんだ民衆は、一揆や打ちこわしを起こした。これらはいずれも江戸時代に起こった一揆だが、これに該当しないのはどれ?
正解! 不正解! 永享の乱 |