墳丘堤の外に石敷き 奈良・橿原 菖蒲池古墳

墳丘堤の外に石敷き見つかる 奈良・橿原の菖蒲池古墳
 奈良県橿原市教育委員会は2月20日、同市の菖蒲池古墳(7世紀半ば、方墳)で、墳丘を囲むとみられる盛り土や、その外側に施された石敷きが見つかったと発表した。石敷きは墳丘の東西約20㍍の場所で、堤とみられる盛り土に沿って東西2㍍、南北4.5㍍分が見つかった。この時期で立派な石敷きがあるのは宮殿と寺院だけという。
 通常は堤までが古墳の範囲とされ、さらに外側から施設が見つかるのは極めて異例。堀の幅は古墳正面から奥に行くほど狭くなることも判明。正面から見た際の遠近感を出す工夫とみられる。こうした手の込んだ造りから、古墳の被葬者は649年、無実の罪により山田寺で自害した蘇我倉山田石川麻呂や、皇族などとする説がある。

和歌山で古典芸能「花園の御田舞」

和歌山で古典芸能「花園の御田舞」
 和歌山県かつらぎ町花園の遍照寺で2月17日、国指定重要無形民俗文化財の古典芸能「花園の御田(おんだ)舞」が行われた。御田舞は米作りの1年間を、木製の鍬や鎌を手にした地元保存会の若者らが、太鼓、笛、たたき棒による古風なはやしと歌に合わせ、田植えの準備から稲刈り、もみすりまでの所作を格調高い口上と舞で表現する、平安中期から続くと伝わる古典芸能。2年に1度、旧暦の年初めに奉納上演される。豊作を祈り、約3時間上演され、日頃は人の少ない山あいの地がカメラを手にした観光客らでにぎわった。

川端康成の初の新聞小説「美しい!」見つかる

川端康成の初の新聞小説「美しい!」見つかる
 ノーベル文学賞作家、川端康成(1899~1972年)が27歳で発表した初めての新聞小説「美しい!」が見つかった。この小説は1927年4月11日から5月2日にかけて計4回、福岡日日新聞(現在の西日本新聞)に連載された。「美しい!」は全集や年譜に収録されておらず、研究者にもほとんどその存在を知られていなかった。したがって、これまでは1927年8月から中外商業新報(現在の日本経済新聞)で連載した「海の火祭」が最初の新聞小説とされていた。

小泉八雲が交友に宛てた手紙44通を松江歴史館で展示

小泉八雲が交友に宛てた手紙44通を松江歴史館で展示
「耳なし芳一のはなし」「ろくろ首」などの怪談作品で知られる明治の文学者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)が、島根県尋常中学校の英語教師だったころに親交のあった同校教頭、西田千太郎に宛てた手紙44通が、2月23日から3月10日まで松江市の松江歴史館で展示される。手紙は英語で書かれ、1891年(明治24年)1月から1896年12月まで、小泉八雲が居住した松江などから発信したもの。神戸からの手紙には日本国籍を取得したことが記され、「わたしは『Y・小泉』になります」と報告している。

宮殿並み蘇我馬子邸の塀跡か 大型柱穴列見つかる

宮殿並み蘇我馬子邸の塀跡か 大型柱穴列見つかる
 奈良県明日香村教育委員会は2月9日、同村の島庄遺跡で、飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子(生年不明~626年)の邸宅の塀跡とみられる大型柱穴列が見つかったと発表した。この遺跡で建物群跡のものとみられる7世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。柱穴の一辺は1㍍以上あり、2.1~2.4㍍間隔で8個並んでいた。柱の直径はそれぞれ30~40㌢あったとみられる。これは宮殿クラスの規模という。塀の長さは約16㍍。当時、天皇を凌ぐ権勢を誇ったとされ、蘇我氏の全盛期を築いたといわれている馬子の邸宅規模を探る貴重な手掛かりになるとみられる。

富山・魚津市の縄文期の環状集落は全国最大規模

富山・魚津市の縄文期の環状集落は全国最大規模
富山県埋蔵文化財調査事務所によると、同県魚津市の早月上野遺跡で見つかった縄文時代の環状集落が、直径約280㍍と推測され全国最大規模だったことが分かった。41カ所ある竪穴式住居の跡からは、約5500年前ごろと推定される土器が出土しており、縄文時代中期から晩期の遺構とみられる。ほかに祭祀用とみられる石棒も出土している。中心の広場を「墓域」が囲み、周りの「居住域」に住居が点在する一般的な環状集落となっていた。関東・甲信越地域の環状集落と住居の並び方が似ており、東日本から北陸地方への文化的影響を示す遺構という。