古都・奈良 検定 血塗られた飛鳥時代編
Q1.次は蘇我氏が中央政府において力を持つことができた要因だが、該当しないのは次のうちどれ?
イ.他の氏族と異なり、宮廷では並ぶ者のない外戚関係を築いていた?
ロ.漢氏(あやうじ)や秦氏(はたうじ)らを従える進歩的国際人だった?
ハ.軍事力が強かった? ニ.財政に明るかった
Q2.物部・蘇我両氏族の本当の対立原因とは次のうちどれ?
イ.排仏派と崇仏派の対立 ロ.政権をめぐる権力闘争
ハ.新興勢力と保守勢力の対立 ニ.神道と仏教の対立
Q3.物部守屋が滅んだ翌月(587年8月)、泊瀬部皇子(はつせべのみこ)が即位し崇峻天皇となったが、この天皇を配下に命じ暗殺させたのは次のうち誰?
イ.紀臣男麻呂(きのおみおまろ) ロ.巨勢臣猿(こせのおみさる)
ハ.葛城臣鳥奈良(かつらぎのおみおなら) ニ.蘇我馬子(そがのうまこ)
Q4.Q3に命じられ実際に手を下し、崇峻天皇を暗殺したとされているのは次のうち誰?
イ.東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)
ロ.迹見首赤檮(とみのおびといちい)
ハ.秦河勝(はたのかわかつ) ニ.捕鳥部万(ととりべのよろず)
Q5.敏達・用明天皇のころは皇族に近親者婚が多い。次はいずれもその理由に挙げられるものだが、間違っているものがある。それはどれ?
. イ.当時は異母兄妹婚が許されていた
ロ.当時は同母兄妹婚も許されていた
ハ.当時は男が女の家に通う形の結婚が多かったため
ニ.地位が特殊で、適当な結婚相手を同族以外に求めにくかったため
Q6.推古朝の政治体制について、次のうち実態として正しいのはどれ?
イ.蘇我馬子の独裁 ロ.蘇我馬子と聖徳太子の合議制
ハ.推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子のトロイカ方式 ニ.推古天皇の独裁
Q7.聖徳太子の遺族で皇位後継者候補の一人だった山背大兄皇子を死に追い込んだ蘇我家の有力人物は誰?
イ.蘇我入鹿 ロ.蘇我倉山田石川麻呂 ハ.蘇我蝦夷 ニ.蘇我日向
Q8.643年、Q7により聖徳太子一族は滅亡したが、その死因は次のうちどれ?
イ.放火(焼死) ロ.自害 ハ.毒殺 ニ.斬殺
Q9.645年、朝廷を震撼させるクーデター、専横を極めた蘇我入鹿暗殺事件が起きた。このとき中大兄皇子とともに主導的役割を演じたのは次のうち誰?
イ.軽皇子(後の孝徳天皇) ロ.佐伯連子麻呂
ハ.海犬養連勝麻呂 ニ.中臣鎌足
Q10.645年のクーデターの際、蘇我氏一族の中で本家(馬子直系)による権力の独占に不満を持っていた有力者がクーデターに協力(味方)した。それは次のうち誰?
イ.蘇我倉山田石川麻呂 ロ.蘇我日向 ハ.蘇我連子 ニ.蘇我赤兄
Q11.蘇我入鹿死亡の悲報を耳にした父・蝦夷はどのようにして死を迎え、蘇我本家が滅亡したか?
イ.戦死 ロ.自害 ハ.毒殺 ニ.斬殺
Q12.クーデターの成功後、僧旻とともに国博士となったには次のうち誰?
イ.南淵請安 ロ.玄ム ハ.高向玄理 ニ.吉備真備
Q13.649年、中大兄皇子と中臣鎌足は、長老の右大臣・蘇我倉山田石川麻呂を誣告で失脚させるという陰謀をめぐらせて目的を達した。これに関与し事件後、大宰府に左遷されたのは次のうち誰?
イ.蘇我日向 ロ.蘇我連子 ハ.蘇我赤兄 ニ.蘇我安麻呂
Q14.Q13の際、石川麻呂が本拠地の飛鳥のこの寺の仏殿で妻子8人とともに、一戦も交えることなく自決した。その寺とは次のうちどれ?
イ.法興寺 ロ.橘寺 ハ.法起寺 ニ.山田寺
Q15.658年、先の孝徳天皇の遺児、有間皇子が罠にはまり謀反を起こすという事件が発生。これにより有間皇子は非業の最期をたどる。これも中大兄皇子と中臣鎌足の謀略だったと思われるが、これに関与したのは次のうち誰?
イ.蘇我連子 ロ.蘇我赤兄 ハ.蘇我日向 ニ.蘇我安麻呂
Q16.663年、中国の唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされた百済の遺臣から援軍を求められた中大兄皇子は百済復興への助力を決意。大軍を派遣し、唐・新羅連合軍と激突、無残な敗北を喫した。これはつぎのうちどれ?
イ.任那の戦役 ロ.文永・弘安の役 ハ.白村江の戦い ニ.文禄・慶長の役
Q17.Q16の戦いに中大兄皇子が3回に分けて派遣した兵力は総勢およそどれくらいだったか?
イ.1万5000人 ロ.2万7000人 ハ.5万2000人 ニ.7万8000人
Q18.天智天皇の死の翌年(672年)起きた古代最大の内乱は次のうちどれ?
イ.壬申の乱 ロ.承平・天慶の乱 ハ.承和の変 ニ.昌泰の変
Q19.Q17の内乱は大友皇子を総大将とする近江朝と大海人皇子との戦いだが、大海人軍の前線司令官を務めたとされるのは次のうち誰?
イ.忍壁(刑部)皇子 ロ.草壁皇子 ハ.大津皇子 ニ.高市皇子
Q20.次はいずれも近江朝廷軍で奮戦した豪族だが、該当しないのはどれ?
イ.巨勢人 ロ.大伴吹負 ハ.蘇我果安 ニ.中臣金