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奈良・纏向遺跡 「建物群は3棟」従来見解を修正

奈良・纏向遺跡の「建物群は3棟」従来見解を修正
 奈良県桜井市纏向学研究センターは2月1日、邪馬台国の有力候補地とされる同市の纏向(まきむく)遺跡の、方位や中心軸を揃えて建ち並んでいたと考えられていた3世紀前半の建物群4棟のうち、1棟について「存在しない」と従来の見解を修正した。35年前の発掘で柱穴5つが見つかった建物群の西端の1棟について、調査区域を広げて発掘したが、想定した場所で建物の痕跡が見つからなかったという。

川端康成の未発表小説、自筆原稿を確認

川端康成の未発表小説、自筆原稿を確認
 川端康成(1899~1972年)が若き日に書いた未発表小説「勤王の神」の自筆原稿を、鶴見大図書館(横浜市)が所蔵していることが2月4日、分かった。川端文学の研究者で同大文学部の片山倫太郎教授が確認した。作品は400字詰め原稿用紙21枚にペンで書かれている。川端の直筆とみられ、片隅に「3年12月26日」と記されていることから、1928年(昭和3年)ごろに執筆されたと思われる。鶴見大図書館は2月18日から3月2日まで、この自筆原稿を一般公開する。

英リチャード3世の遺骨を確認 DNA鑑定で

英リチャード3世の遺骨を確認 DNA鑑定で
英レスター大の考古学調査チームは2月4日、中部レスターで見つかった成人男性の遺骨をDNA鑑定で、15世紀のイングランド王リチャード3世(1452~1485年)と確認したと発表した。リチャード3世は、シェークスピアがその生涯を描いた同名の戯曲で広く知られているが、埋葬場所は謎だった。遺骨は駐車場の地下から発掘されたが、英国放送協会(BBC)によると、英政府はこの遺骨をレスター大聖堂に埋葬し直す方針。

18世紀 音色再現 ノートルダムに新たに9つの鐘

18世紀の音色再現へ ノートルダムに新たに9つの鐘
 建築開始から850年になることを記念してパリのノートルダム寺院に取り付けられることになった9つの鐘が2月2日、一般公開された。新しい鐘は2月末まで公開された後、1つは南塔の大鐘「エマニュエル」の横に、8つは北塔に取り付けられる。3月23日から、鐘が同時に撞(つ)かれ、9つの鐘がハーモニーを奏でるという。14世紀に同寺院が完成した時、鐘は10以上あったが、1789年のフランス革命後の混乱でほとんどが失くなった。

唐招提寺など奈良9社寺が復興願い福島でシンポ

唐招提寺など奈良9社寺が復興願い福島でシンポ
 観光庁は奈良県と協力し2月14日、福島県郡山市で、東日本大震災からの復興を願い、唐招提寺、東大寺、興福寺、春日大社、石上神宮など奈良県の9社寺を集めたシンポジウム「祈りを通して知る日本の歴史と文化」を開催する。外国人観光客を案内する通訳案内士の育成を目的としたシンポジウムだが、一般参加も受け付けている。東北地方に伝わった奈良の文化について語り合う。郡山市公会堂で午後0時半~3時半。参加費は無料。

新宿で4000年前の縄文時代の人骨11体分発見

新宿で4000年前の縄文時代の人骨11体分発見
 東京新宿区の建設現場で縄文時代の人骨が発見された。骨は性別不詳のものも含め、少なくとも11人分見つかり、国立科学博物館の鑑定により、およそ4000年前の縄文時代中期~後期のものと判明した。現場は縄文時代の集落跡とみられ、貝塚ではない場所から保存状態の良い人骨が見つかるのは極めて異例のことという。

後白河法皇の側近・俊寛の自筆書状を初確認

後白河法皇の側近・俊寛の自筆書状を初確認
 京都・陽明文庫が所蔵する公家の日記「兵範記(ひょうはんき)」(重要文化財)の紙背文書(しはいもんじょ)から、平安時代末期の僧、俊寛の手紙が見つかった。俊寛の自筆書状が確認されたのは初めて。俊寛は後白河法皇の側近で、平家打倒の陰謀を企てた鹿ケ谷事件(1177年)に加わって事前に発覚、鬼界島に流罪となった僧で、平家物語に登場、能や歌舞伎の演目としても有名。書状は船木荘という荘園からの上申書に関して「兵範記」の筆者、平信範宛てに判断を求める内容。「法師快□」(□は途中で紙が切断されている)の末尾の署名を、今回デジタル化によって見やすくなった文字を再検討した結果、「法眼俊□」と読めることが分かった。

平泉 鳥獣戯画に似たカエルが描かれた木片出土

平泉で鳥獣戯画に似たカエルが描かれた木片出土
 岩手県教育委員会は、奥州藤原氏の政務の拠点があった岩手県平泉町の国指定史跡「柳之御所遺跡」から、擬人化されたカエルが墨で描かれた木片が見つかったと発表した。国宝「鳥獣人物戯画」(平安~鎌倉時代)に似ており、同時に出土した遺物から12世紀後半のものと推定される。

飛鳥寺西方遺跡で「槻の樹の広場」の遺構発見

飛鳥寺西方遺跡で「槻の樹の広場」の遺構発見
 奈良県明日香村教育委員会は1月30日、飛鳥寺西方遺跡で7世紀中ごろ~後半の石敷きが東西15㍍、南北24㍍にわたって見つかったと発表した。同遺跡は『日本書紀』に登場する「飛鳥寺西の槻(つき=ケヤキ)の樹の広場」とみられている。したがって、この広場は大化の改新の立役者、中大兄皇子(後の天智天皇)が蹴鞠中に初めて中臣(藤原)鎌足と出会った舞台。石や砂利を隙間なく丁寧に敷き詰めており、同村委は当時の皇族・貴族らが饗宴や儀式を催した場所にふさわしい空間だったとしている。

堂内修理ほぼ終了で東大寺法華堂の本尊戻る

堂内修理ほぼ終了で東大寺法華堂の本尊戻る
 堂内修理のため、お堂から境内の東大寺ミュージアムに移され安置されていた本尊の不空けん索観音像が1月25日、2010年以来、2年余ぶりに堂内に搬入、戻された。東大寺法華堂(8世紀、国宝)の須弥壇(しゅみだん)の解体修理や、耐震に向けた構造強化などの堂内の修理のため本尊も移されていた。この間、仏像表面に張られた金箔の剥落止めなどを施されたほか、堂内の修理もほぼ終了したため。