カテゴリー別アーカイブ: 歴史くらぶ

文化庁が長崎の教会群に世界遺産に「推薦可能」判定

文化庁が長崎の教会群に世界遺産に「推薦可能」判定
 文化庁は4月19日、世界文化遺産への推薦を待つ国内候補10件を対象に、保全態勢の強化など関係自治体の準備の進捗具合を評価し、文化審議会に報告した。今夏の推薦決定を目指す4件のうち、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県、熊本県)は文化財の管理計画が整っているとして、「推薦可能」と判定。他の候補は「課題があり、現時点では困難」などとしている。

南ア チンパンジーとヒトの特徴 猿人の骨格発見

南アでチンパンジーとヒトの特徴持つ猿人の骨格発見
 南ア・ウィットウオーターズランド大などのチームは、200万年前に南アフリカで生息していたセディバ猿人(アウストラロピテクス・セディバ)は、人とチンパンジーの両方に似た特徴を兼ね備えた骨格を持っていたと、4月12日付の米科学誌サイエンスに発表した。歯や骨盤は人に近く、かかとはチンパンジーに似て、直立歩行と木登りの両方に適していたと推測されるとしている。セディバ猿人は2008年、南アの首都プレトリア近郊の洞窟で発見された新種の猿人。現生人類(ホモ・サピエンス)を含むホモ属の祖先の可能性があると注目されている。

フローレス原人は脳が現代人の1/3だった

小型の人類、フローレス原人は脳が現代人の1/3だった
 国立科学博物館と東京大学の研究チームは、身長1㍍ほどで小型の人類、フローレス原人の脳の大きさが現代人の3分の1しかないことを突き止めた。脳と体のサイズの比率から、ジャワ原人を祖先とし、脳と体が小さく進化していった原人の可能性が高まった。4月17日に英国王立協会紀要(電子版)に掲載される。フローレス原人は1万数千年まで生きていたとされる。2003年にインドネシアのフローレス島で初めて見つかったフローレス原人の頭蓋骨化石を、東大のコンピューター断層撮影装置(CT)で解析。樹脂で正確に頭骨を復元し、脳の大きさを測定した結果、426CCで、現代人(約1300CC)の約3分の1だった。

高杉晋作の日記や三味線を萩・下関市に寄贈

高杉晋作の日記や愛用の三味線を萩・下関市に寄贈
 幕末の志士、高杉晋作の玄孫(やしゃご)で現高杉家当主の高杉力さん(48)は4月13日、山口県萩市と下関市が管理していた晋作の日記や愛用していた三味線などの遺品を、両市に寄贈すると発表した。萩市へはすでに69点を寄贈。晋作の命日の4月14日に、下関市へ寄贈する158点の披露式を同市立東行記念館で開いた。
 萩市に寄贈されたのは、高杉家の家紋入りの産着など。江戸遊学に旅立つ晋作を師の吉田松陰が激励した手紙や、萩から江戸に約2カ月かけて軍艦で航海した際の日記「東帆録」が含まれる。下関市には、愛用の三味線などが寄贈された。奇兵隊の軍旗や療養生活中の和歌などもあり、いわば下関戦争から死に至るまでの激動の人生をともにした遺品群だ。遺品をめぐっては、晋作の墓がある寺「東行庵」(下関市)と高杉家などとの間で所有権の争いが続いていた。

藤原公任編纂の古文書の裏に”猿の顔”?の印

藤原公任編纂の宮中の古文書の裏に”猿の顔”?の印
 宮内庁は4月11日、平安中期の歌人、藤原公任が編纂した宮中の儀式の指南書「北山抄」の写本の裏に、猿の顔のような印が押されていることが分かったと発表した。目的などは不明で、同庁は様々な分野の人に印の意味を考察してほしい-としている。同庁が2004年、北山抄の写本を整理した際、2つの巻物から朱色の猿の顔のような印55カ所(縦約2㌢、横約2.5㌢)を発見。今年また別の写本でも裏に似たような大きさや形の墨色の印1カ所が見つかったという。

古墳時代の金色の馬具一式 福岡の遺跡群から

古墳時代の金色の馬具一式出土 福岡の遺跡群から
 福岡県古賀市教育委員会は4月18日、同市の谷山北地区遺跡群で、7世紀初頭前後(古墳時代末期)の金銅製の鞍など馬具一式が出土したと発表した。同市教委によると、馬具は7世紀初頭の直径約20㍍の円墳「船原3号噴」の入り口から約5㍍離れたところに掘った横5.2㍍、縦0.8㍍の穴に埋められていた。馬具は轡(くつわ)に手綱を結び付ける「引手」、鞍の金具、馬の背中を飾る「雲珠(うず)」、ハート形をした飾り金具「杏葉(ぎょうよう)」、ひもなどが交差した場所に付ける「辻金具」など多数。これらの馬具は馬を豪華に飾るのに使われていたと考えられ、全国的にも例が少なく、当時の葬送儀礼が分かる重要な発見としている。

ナスカで2人の人物 新たな地上絵発見 山形大

ナスカで2人の人物が並んだ新たな地上絵発見 山形大
 山形大は4月12日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ台地で、2人の人物が並んだ地上絵を新たに見つけたと発表した。人物は縦約13㍍、横約7㍍で頭部が逆三角形のものと、縦約14㍍、横約12㍍で頭部が円形のものの2体。ナスカ台地周辺で出土した土器との比較などから、紀元前400年から同200年の間に描かれたと推定されるという。多くの地上絵は、地表の石などを取り除いてつくった「線」で描かれているが、今回の地上絵は小石を積み上げたり、取り除いたりして描かれていた。2011年に山形大の研究グループが発見し、ペルー文化省に報告。今月初めに学会で発表した。

4600年前、港の跡地発見 パピルス40巻も

4600年前、エジプト最古の港の跡地発見 パピルス40巻も
 エジプトのアリ文化財担当国務相は4月11日、大ピラミッドの建造で有名なクフ王(在位・紀元前2589~同2566年)の時代に使われた港の跡を発見したと明らかにした。エジプトで見つかった港としては最古のものと同国メディアが報じた。
港の跡はエジプトとフランスの合同チームが調査、北東部スエズの南方約180㌔の紅海沿岸で見つかった。シナイ半島から銅などを運び出すのに使われていたとみられる。船を係留するロープを結び付けるために使われていた複数の石も発掘された。また、アリ国務相は、現地でクフ王時代の日常生活の詳細が記されたパピルス40巻も発見されたと発表した。

隋の煬帝の墓か 中国江蘇省の工事現場で発見

隋の煬帝の墓か 中国江蘇省揚州市の工事現場で発見
 中国メディアによると、江蘇省揚州市の当局は、同市で約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝のものとみられる墓が見つかったと発表した。不動産開発の工事現場で偶然、広さ20~30平方㍍の石室2つが見つかり、うち1つから煬帝の墓であることを記した墓誌や、副葬品とみられる金をちりばめたベルトや銅製品などが出土したという。棺や骨は見つかっていない。

縄文人は調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊き跡

縄文人は普通に調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊きした跡
 日本、英国などの研究チームは、北海道や福井県の遺跡から出土した1万1000~1万5000年前の縄文式土器の焦げ跡に、サケなどの魚を煮炊きしたとみられる脂質が含まれていることを見つけ、4月11日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。料理に使われた世界最古の土器という。縄文土器は一般に食料の貯蔵などに使っていたとみられていたが、栄養価の高い魚類を料理していたことも示すもの。縄文人の暮らしぶりの一端を明らかにする成果。今回詳細に調べた鳥浜貝塚(福井県若狭町)、大正3遺跡(北海道帯広市)以外の遺跡でも、焦げ跡の炭素や窒素の同位体比から、ほとんどの土器は煮炊きに使われていたとみられる-としている。