歴史くらぶ イベントカレンダー 12月
戦役・事変
三方ヶ原の戦い-元亀3年(1572年)12月、天下に号令をかけるべく上洛を目指し、その途上にあった武田信玄と、徳川家康との間の戦い。この戦いで家康は生涯でも唯一の屈辱的惨敗を喫した。三方ヶ原は静岡県浜松市北方の台地。天竜川と浜名湖の中間に位置する。


王制復古の大号令-慶応3年(1867年)12月9日、倒幕派の公家、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛らが主導して列藩会議構想が実現する前に、徳川氏を排除した新政権を樹立するため断行された、いわば倒幕派のクーデター。これに伴い、摂政、関白、幕府などの制度は廃止され、新たに総裁、議定、参与の三職が設けられた。そして、これに続くこの日の夜の小御所会議で、恐らく慶喜にとっては全く想定外の、慶喜の「辞官納地」(官職・領土の返上)が決定された。


後三年の役-前九年の合戦の後、清原氏は奥州の覇者となったが、20年余り後に内紛が起こり、本家の家衡と清衡が争った。父・頼義の跡を継いだ源義家は、陸奥・出羽を舞台としたこの争いで清衡を助け、苦戦の末、1087年(寛治元年)12月、勝利を収めた。清衡は、実父の藤原経清の姓、藤原に復し、後に平泉を本拠に栄華を極めた奥州藤原氏の祖となった。


平治の乱-1159年(平治元年)12月、平清盛らが熊野参詣中に、保元の乱後の褒賞の遺恨から、源義朝が藤原信頼と結び企てたクーデター。義朝率いる軍勢が御所を襲撃、後白河上皇と二条天皇を幽閉し、後白河の腹心、藤原信西(通憲)の殺害に成功した。しかし、急遽、都に戻った清盛軍に敗れ去った。この結果、清盛の権力はますます強大になっていった。
■戦国祭り 
(開催日の一部で固定していない、例年変わるケースがあります。お出かけの際は、念のため事前にご確認を!)
河渡祭(かわたりさい)・12/1(山口県下関市)-永禄年間、毛利氏と尼子氏が石見国・江の川で戦った際、毛利元就が全軍にお神酒を与え、餅粥をふるまい、その勢いでこの合戦に勝利を収めたことに始まる開運の祭り。場所は長門一宮住吉神社。現在では、大釜に餅粥が炊かれ、参拝客にふるまわれる。


小栗判官まつり・第1日曜(茨城県・協和町)-協和地区に伝わる室町時代の小栗判官伝説を再現する祭り。華麗な戦国絵巻を思わせる武者行列がハイライト。馬にまたがった小栗判官が御所車に乗った照手姫をはじめ侍女、十勇士、子供武者など総勢300余名を従えて、JR新治駅前通りを練り歩く。併せて伝統芸能の披露や、地場産業の農産物の直売なども催される。
■偉人・賢人の命日
・見性院(千代)(元和3年12/4・1617年12/31)満60歳
・藤原道長(万寿4年12/4・1028年1/3)満61歳
・徳川光圀(元禄13年12/6・1701年1/14)満75歳
・川上貞奴(昭和21年12/7・1946年12/7)満75歳
・夏目漱石(大正5年12/9・1916年12/9)満49歳
・建礼門院徳子(建保元年12/13・1214年1/25)満58歳
・伊達宗城(明治25年12/20・1892年12/20)満74歳
・持統天皇(大宝2年12/22・703年1/13)満57歳