歴史くらぶ イベントカレンダー 11月
戦役・事変
「俄の御譲位」事件-寛永6年(1629年)11月8日、後水尾(ごみずのお)天皇が突然、何の前触れもなく公家たちに異例の参内命令をかけ、内裏における節会の儀で、自分が退位し、年齢わずか7歳という少女、興子内親王(明正天皇、徳川秀忠の孫)に譲位する旨、明らかにしたのだ。前代未聞、異例中の異例な天皇交替劇だった。武家(幕府)に全く知らされないまま、践祚(せんそ)が行われ、奈良時代の称徳天皇以来860年ぶり、武家の世になって初めての女帝の出現だった。承久の乱(1221年)以後、幕府に無断で行った皇位継承は事実上無効のはずだったが、幕府はこれを追認した。


小牧・長久手の戦い-天下統一を目前にした羽柴秀吉と、徳川家康および信長の次男・信雄(のぶかつ)の連合軍が激突した戦い。秀吉は備前以東14カ国の領国を背景とし、これに対し家康の勢力圏は三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5カ国、信雄の伊勢・尾張を合わせても7カ国にすぎなかった。そのため、家康・信雄軍の兵力は最大で3万に対し、秀吉軍は10万の兵力を擁していた。圧倒的な戦力差だが、秀吉軍は統率が取れていなかった。
天正12年(1584年)3月、小牧山周辺で戦端が開かれた。まとまりを欠く秀吉軍は、勝手に、あるいは功を焦って家康軍の挑発に乗って深追いし、痛手を被る部隊が出るなど、戦術面でも劣っていた。家康軍の野戦の強さを知った秀吉は諸軍の軽挙を戒め、持久戦の態勢を取った。ところが、最終的に舞台を移した長久手の合戦では、劣性にあったはずの兵力差は微塵も感じさせず、家康側の大勝利に終わったのだ。9月に和議の交渉が始まり、正式に講和が成立したのは11月中旬だった。
  この長久手の敗戦により、秀吉は武力での東国征服の夢を断念せざるを得なくなった。同時に、征夷大将軍任官の希望も断たれることになった。これを境に秀吉は官位昇進に執着を見せ始め、「武家関白」に目標を変えるのだ。
 小牧は愛知県西北部の現在の小牧市。長久手は現在の愛知郡長久手町。
■戦国祭り 
(開催日の一部で固定していない、例年変わるケースがあります。お出かけの際は、念のため事前にご確認を!)
氏郷まつり・11/3(三重県松阪市)-「商人のまち松阪」を築いた名将・蒲生氏郷を讃える秋の大祭。武者行列、サンバパレード、仮装行列など多数の催しが行われる。碑前祭で氏郷公に松阪の開府を感謝する神主の祝詞とともに始まり、市中には露店が並び、滋賀県・日野町、福島県会津若松市が氏郷を偲び祭りに参加する。


多治見まつり・11/3(岐阜県多治見市)-鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、足利尊氏の配下で当地方を治めていた多治見国長、土岐頼定、土岐頼兼らを偲び、仮装行列など市を挙げた秋の一大イベント。市長、市議会議長、区長会長、一般公募の人たちが豪華な衣装をまとい当時の人物に扮し、市内を華やかに練り歩く。ボーイスカウト、ガールスカウトなどの有志約100名が子供武者の姿で参加。消防音楽隊、幼稚園児、小学生などのブラスバンドや太鼓、踊りなどのチーム約2000名が賑やかにパフォーマンスしながら続く。武者行列の中には織田信長、古田織部、徳川家康、斉藤道三、夢窓疎石、明智光秀らの姿もみられ」る。


箱根大名行列・11/3(神奈川県箱根市)-箱根七湯発祥の地、箱根湯本温泉郷で盛大に行われる、さながら江戸時代の参勤交代を偲ばせる行列が再現される。露払いを先頭に六尺、挟み箱、毛槍、弓、鉄砲、徒士、小姓、大名、家老、大名駕籠、奥女中、腰元、長持ちなど総勢170名が、旧東海道や温泉街約6kmにわたって練り歩く。昭和10年に始まり、太平洋戦争中など一時中断したが、平成22年で57回を数える。


天竜産業観光まつり・11/3(静岡県天竜市)-武田勝頼との内通容疑で、幽閉先だった二俣城で満20歳の若さで散った徳川家康の長男・信康を偲び、信康の正室・徳姫(織田信長の娘)らも加わった武者行列、鼓笛隊パレード、ステージショーなどが行われる。また、100店もの物産大テント市、秋の蔵シック、龍水の都クラシックカーフェスティバル、木工体験などが催される。


小江戸彦根の城まつり・11/3(滋賀県彦根市)-子供大名行列、風俗行列、彦根町火消し列、井伊の赤鬼家臣団列など総勢約1000人の行列が城下を練り歩くパレードがメインイベント。
・九鬼嘉隆まつり・11/3(三重県鳥羽市)-戦国時代の鳥羽城主、九鬼嘉隆に因み、様々な趣向で当時を偲ばせる賑やかさを演出。食べたり、買い物をしたり、遊んだりと存分に楽しい一日を満喫できる祭り。


東京時代まつり・11/4(東京都・浅草)-戦国武将から徳川家康公、忠臣蔵の四十七士まで含めた江戸・東京ゆかりの人物たちによる総合大行列。


川内はんや祭り・11/4(鹿児島県川内市)-豊臣秀吉の九州征伐における川内・泰平寺での薩摩藩主・島津家と秀吉の和睦を、史実に基づき再現。路上での緊迫の寸劇もあり、見もの。


長岡京ガラシャ祭・第2日曜(京都府長岡京市)-平成4年、長岡京市の歴史遺産の一つ、勝竜寺城跡を整備し、市民の憩いの場、勝竜寺城公園が完成した記念に始められた祭り。約400年前、織田信長の勧めにより、細川藤孝の息子、忠興のもとに嫁いできた明智光秀の娘「玉」の輿入れの様子を再現する行列巡行がそれ。以後、その催しが「長岡京ガラシャ祭」として広く市民に親しまれている。
■偉人・賢人の命日
・広瀬淡窓(安政3年11/1・1856年11/28)満74歳
・野村望東尼(慶応3年11/6・1867年12/1)満61歳
・明正天皇(元禄9年11/10・169612/4)満72歳
・渋沢栄一(昭和6年11/11・1931年11/11)満91歳
・坂本龍馬(慶応3年11/15・1867年12/10)満31歳
・お龍(楢崎龍)(明治39年11/15・1906年11/15)満65歳
・中岡慎太郎(慶応3年11/17・1867年12/12)満29歳
・天璋院篤姫(明治16年11/20・1883年11/20)満47歳
・一休宗純(文明13年11/21・1481年12/12)満87歳
・銭屋五兵衛(嘉永5年11/21・1852年12/31)満78歳
・近松門左衛門(享保9年11/22・1725年1/6)満71歳
・樋口一葉(明治29年11/23・1896年11/23)満24歳
・親 鸞 (弘長2年11/28・1263年1/9)満89歳