歴史くらぶ イベントカレンダー 5月
戦役・事変
北越戦争-慶応4年/明治元年(1868年)5月2日、戊辰戦争の局面のひとつとして、長岡藩(現在の新潟県長岡市)周辺地域で行われた一連の戦争。新政府軍は北陸道鎮撫総督府の山県有朋と黒田清隆を指揮官としていた。対する旧幕府軍は長岡藩上席家老・河井継之助が戦闘を主導。当初河井は長岡藩の武装中立論を主張、長岡への侵攻の中止を求めていたが、新政府軍はこれを一蹴。談判は決裂した。そのため、長岡藩は当初参加を見送っていた奥羽越列藩同盟に正式に参加した。これをみて新発田など越後五藩も長岡藩に続いて同盟に加わった。激烈な戦闘を繰り広げ、ガトリング砲をはじめとする最新火器を装備した長岡藩兵と河井の巧みな戦術に翻弄され、苦しめられる場面もあったが、圧倒的に物量に勝る新政府軍が勝利した。

上野戦争-新政府に反発する旧幕臣ら約3000人が彰義隊を結成し、上野・寛永寺を本拠に抵抗していた。だが、慶応4年(1568年)5月15日、大村益次郎が指揮する新政府軍の総攻撃で、最新火器の威力がいかんなく発揮され、指揮官の予言通りあっけなく壊滅した。

桶狭間の戦い-永禄3年(1560年)5月19日、織田信長が今川義元を破った戦い。当時、駿河の戦国大名・今川義元は2万5000といわれる大軍を率い、尾張へ侵攻した。これを迎え撃つ尾張の大名・織田信長の戦力はわずか2000だった。この10分の1ほどの軍勢で今川軍の本陣を急襲し、義元を討ち取り、今川軍を潰走させたのだ。日本の合戦史上、最も華々しい、そして劇的な逆転劇で有名な戦いだ。東海道に君臨した今川氏は、これを機に没落をたどり、逆に勝利した織田氏はこれ以降、畿内の制圧に向かって急成長していった。桶狭間は愛知県知多半島北部。

長篠の戦い-天正3年(1575年)5月21日、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼との間で繰り広げられた合戦。この戦いで信長は組織的な鉄砲軍団を組織。近代的な戦闘の先駆けとなった。この戦いでの敗戦で武田家は信玄以来の数多くの重臣を敗死させ、その勢力が急速に衰えていった。長篠は現在の愛知県北東部の奥三河。

応仁の乱-足利将軍家の相続問題をきっかけとして、東軍・細川勝元と西軍・山名宗全とがそれぞれ諸大名を引き入れて、京都を中心に対抗し繰り広げた大乱。端緒は室町幕府の八代将軍・足利義政が一揆や様々な政争が起こっているにもかかわらず、武家の棟梁として何の手も打たず、これを放置。そして、とりあえず勝った側の言いなりになっている。その結果、応仁元年(1467年)5月、京都市内で本格的な市街戦が始まったのだ。こうして、多くの大名を巻き込んだ未曾有の大乱は文明9年(1477年)10月まで11年間わたり続き、京の都を灰とし将軍の権威を地に落として、ようやく終結したのだ。

■戦国祭り 
(開催日の一部で固定していない、例年変わるケースがあります。お出かけの際は、念のため事前にご確認を!)
上杉まつり・5/1~5/5(山形県米沢市)-上杉謙信らを偲んで行われる武者行列や各種イベント。

武蹄式・5/4-かがり火に照らされた荘厳な雰囲気の出陣式を再現。

上杉行列・5/5-上杉軍団と小学校鼓笛隊の行進。

川中島合戦・5/5-上杉謙信・武田信玄一騎打ち、川渡りなどの戦国絵巻を再現


長篠合戦のぼり祭り・5/1~5/5(愛知県鳳来町)-合戦行列、火縄銃実演など長篠の合戦を再現。


小田原北条五代祭り・5/3-武者・小田原市最大の観光イベント。約1800名の武者隊・音楽隊
・まち衆隊の大パレードが市内を勇壮に練り歩く。


光秀まつり・5/3(岐阜県恵那郡明智町・京都府亀岡市)-岐阜県・明智町と京都・亀岡市でそれぞれ明智光秀を偲んで行われる。岐阜では生誕の地での祭りで、騎馬武者行列などが行われ、亀岡では亀山城址で英雄・名君を偲ぶ。


九度山真田まつり・5/3~5/5(和歌山県九度山町)-関ケ原の合戦で敗れた西軍に与して、九度山に配流された真田幸村の一隊が登場、町を練り歩く。


別所公春まつり・5/5(兵庫県三木市)-織田信長の命を受けて中国毛利攻めの軍を進めてきた羽柴秀吉の大軍と交戦、三木城での籠城戦で1年1カ月持ちこたえさせたのが、当時、三木を治めていた別所長治だ。ただ、秀吉側の兵糧攻めに遭い、長治は自らの命と引き換えに、城兵の助命と領民の安全を第一義として和議にこぎつけた。その別所長治を偲び、三木市の恩人として後世に長く語り継ぐために開催されている。三木城跡の辞世の句が刻まれている歌碑の前で「歌碑祭」が行われるとともに、市内の各所で様々な団体による協賛行事が行われる。


幸村祭・5/7(大阪市天王寺区)-豊臣家の存亡をかけた徳川家との最後の戦いとなった「大坂夏の陣」(1615年)で大胆に戦い、見事に散った真田幸村の命日に行われる慰霊祭と寸劇の催し。


青葉祭り・第3土・日曜(宮城県仙台市)-起源は明治時代、それまでの仙台祭に代わって伊達政宗公を祀って明治7年にできた青葉神社の礼祭。現在の青葉祭りは政宗公没後350年を迎えた昭和60年に市民の祭りとして復活したもの。「すずめ踊り」で盛り上がる。


百物揃千人武者行列・5/18(栃木県日光市)-徳川家康公の改葬を総勢1200人の武者行列で再現。


道寸まつり「笠懸(かさがけ)」・5月の最終日曜(静岡県三浦市)-鎌倉時代の相模の名門武士、三浦一族の鎮魂祭として行われる行事。供養とともに、油壺の荒井浜海岸で、三浦一族のお家芸だった「笠懸」が披露される。笠懸は流鏑馬(やぶさめ)の一種で、武家装束に身を固め、砂浜を疾走する馬上から小さな的を射貫く。足下の悪い砂浜での笠懸は古弓馬術の中でも最も難しいといわれ、日本国内ではここ油壺の荒井浜海岸でしか見ることができないといわれている。
■偉人・賢人の命日
・福田英子(昭和2年5/2・1927年5/2)満61歳
・鑑 真 (天平宝字7年5/6・763年6/25)満75歳
・三井高利(元禄7年5/6・1694年5/29)満72歳
・真田幸村(慶長20年5/7・1615年6/3)満48歳
・淀 君 (慶長20年5/8・1615年6/4)満45歳?
・大久保利通(明治11年5/14・1878年5/14)満47歳
・新井白石(享保10年5/19・1725年6/29)満68歳
・日野富子(明応5年5/20・1496年6/30)満56歳
・伊達政宗(寛永13年5/24・1636年6/27)満68歳
・平塚らいてう(昭和46年5/24・1971年5/24)満85歳
・楠木正成(延元元年5/25・1336年7/4)満42歳
・三浦 環(昭和21年5/26・1946年5/26)満62歳
・木戸孝允(明治10年5/26・1877年5/26)満43歳
・在原業平(元慶4年5/28・880年7/9)満55歳
・与謝野晶子(昭和17年5/29・1942年5/29)63歳