ペリー来航 実は1年前に予告されていた オランダから

ペリー来航 実は1年前に予告されていた オランダから

黒船来航、1853年7月のペリー艦隊の浦賀沖来航は、一般には突然のことと受け止められているが、実は幕府は1年前に予告されていた。
1852年7月、長崎・出島のオランダ商館長が「別段風説書」と呼ばれる文書を長崎奉行に提出していた。毎年、オランダ領東インド政庁が海外情報を記した書面を作成し、商館長を通して幕府に渡していたもの。
そこには米国政府が日本に使節を送る計画が示されていた。予告文には、その重要性を強調するため、丸印が付けてあったという。風説書に添えてオランダ東インド総督の書簡と日蘭条約草案の抜粋もあった。
ただ、これを受けた幕府は海防関係の諸大名らと内々に対応を協議したが、財政難のため防衛強化などの施策は講じられなかった。

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